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■ クオリアについての「心の哲学」(8)

Stanford Encyclopedia of Philosophy---Qualia 8節(Tye, 1997)より:

VIII. どの生物がクオリアを経験しているか

私たちヒトよりも単純な生物が現象的な意識を持っているかどうか決定付けられるものは何もない(Papineau 1994)。表象主義はこの質問の手がかりを持っている。もしクオリアが感覚モジュールの出力を形成し、信条や欲望の直接的な変化を用意して待機している状態の特質であるならば推論(=知覚刺激でもたらされる情報の評価によって自らの行動を変化させること)が出来ない生物は現象的な意識をもっていない。

たとえば多くの植物は夜になると葉を閉じるが、これは茎と葉柄の水の動きによるもので、温度と光の変化によって起こる。これらの内的な出来事および状態は現象的ではない。また、植物の行動は遺伝的に決定付けられていて、ゆえに学習による修正ができない。植物は自身に起こったことから信条を獲得したり変えたりすることはないし、欲望も持っていない。

以上の推論からすればクオリアが植物にはないとしても、自然界に非常に広く分布しているいうことも出来る(see Tye 1997)。そのような場合ではより単純な生物に信条や欲望があることが必要となる。

表象主義それ自身は論争の的である。クオリアの起源について哲学者が言えることは多くない。


[qualia:2212]村上
> 以上の推論からすればクオリアが植物にはないとしても、自然界に非常に広く分
> 布しているいうことも出来る。そのような場合ではより単純な生物に信条や欲望が
> あることが必要となる。

当然気になるのはここなんですが,原文にも詳細は書かれていないのですね(^_^;)。

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