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■ クオリアについての「心の哲学」(5)

Stanford Encyclopedia of Philosophy---Qualia 5節(Tye, 1997)より:

V. クオリアと「説明のギャップ」

内観的な主観現象と,脳や身体で起こる客観現象との間には,非常に深い溝が ある。どれほど客観的な情報を得ようとも,依然として主観的感覚には全く説 明できない何かが残るように思える。

これが有名な,クオリアの「説明のギャップ」である(Levine 1983)。「説明 のギャップ」は世界が持つギャップに対応し,非物理的な性質としての主観が あると考える人(Jackson 1993, Chalmers 1996),ギャップはあるが主観の実 体は物理的であると考える人(Searle 1992),主観は物理的で,ギャップはい つか橋渡しされるが現在はそれに必要な概念が欠けていると考える人(Nagel 1974),ギャップは橋渡しできるが,しかし人間の心では無理であると考える 人(McGinn 1991)など,様々である。

一方,近頃支持者を増やしつつある見方としては,「説明のギャップ」は橋渡 しできないギャップとして実在するが,それは自然現象が持つギャップではな く,現象の概念が持つ特別な性質に由来するものであり,それら概念が,ギャッ プが実際よりも深遠で厄介なものであると我々に誤解させているとする。(see Lycan 1996), (see Tye forthcoming (b))。

ギャップがいかにして生じ,それが何を示すのかという事については,一般に 意見が一致していない。


[qualia:2137]村上
'Explanatory Gap'はとりあえず「説明的ギャップ」と直訳しましたが,良い訳語があれば適当に御変更下さい。


[qualia:2138]村上
各見解の詳細を知らないのではっきりとは言えないですが,僕自身はたぶんNagel氏の考え方に近いのでしょうか。

ギャップが概念上の困難であるとする「近頃の」考え方にも直感的に惹かれるものがあります。ただ,要約には書きませんでしたが,その考え方では,ギャップの問題は意識の本性(nature)に対して全く重要性を持たない事になるらしく,そこらへんの意味合いに少し引っかかるところはあるのですが…? 何が引っかかるのかはっきり言葉に出来ないところがもどかしい(^_^;)。


[qualia:2142]吉田
webを検索してみたところ、茂木さんの心脳問題Request For Comments RFC3 「心」が起こす次の科学革命 http://www.qualia-manifesto.com/rfc/rfc3.html が引っかかってきて、「説明のギャップ」と書いてます。定まった訳が他になければこれがよいかという感じがします。

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