« クオリアについての「心の哲学」(3) | 最新のページに戻る | クオリアについての「心の哲学」(5) »

■ クオリアについての「心の哲学」(4)

Stanford Encyclopedia of Philosophy---Qualia 4節(Tye, 1997)より:

section IV. 機能主義とクオリア

クオリアについての機能主義とは「各クオリアの現象的性格は物理的入力と物理的 出力とを媒介する機能的な役割の性質と同一である」という見方だ。

これに対する有名な反論として「逆転スペクトル」ではこう主張する「私が緑を見てい るとき、あなたは赤を見ているかもしれない。同様に他の色でも私たちの色の経験が 現象的に逆になるようになっている」。確かにあなたと私はこの場合表象的に違って いるかもしれないが、それは機能的な違いをも引き起こす。

更なる反論「二人は表象の中身としては同様の経験を持つが、同時に現象的には 違った経験である」に対しては、こう主張できるだろう「たとえ私たち二人が機能的に おおまかなレベルでは同一だったとしても(二人とも赤いものを赤と呼ぶ)、精細な レベル(赤いものを見ることによって赤の経験が引き起こされる)では機能的違いが ある。これが私たちの経験が現象的に違っている理由だ」。

これに対してこういう反論がある。「あなたと私が本当にすべての点で機能的に同じ でしかし現象的には違っている、というのはまだ想像可能だ」。しかしこの主張は機 能主義には反対するが物理主義は受け入れる哲学者にとって問題となる。もし物 理的コピー人間が形而上学的に不可能であるならば、どうして機能的コピー人間は よいのか?

もうひとつの思考実験の「中国人集合体システム」議論(Block (1980))では「何億人 もの中国人がそれぞれお互いと、それから人工的な脳のない体と通信できるような トランシーバーを持っている。体の動きはトランシーバーの信号でコントロールされ 、その信号自身は中国人たちが全員見ることの出来る巨大ディスプレーの指令に よって作られる。その指令によって参加している個々の中国人は個々のニューロン のように機能し、トランシーバーがシナプスのようにそれをつなぐことで中国人集合 体は人間の脳の複製物となる。」もしこれが実現されるとして、このシステムが感じ や経験を持っていなくても理屈は通っているように見える。もしこれが本当に形而 上学的に可能であるならば、クオリアには機能的な本質が無いということになる。

これ対する機能主義者の返答としてLycan 1987は「人間の頭の中に捕らわれてい るニューロン大の生き物なら人間には意識は無い、と間違って確信することもあり うる。それと同じ誤解がある」と言う。Shoemaker 1975もこう言う「機能的コピー人間 であるならば内的状態までもが同じであり、「中国人集合体システム」は痛みを経 験することになるだろう」。もしこの返答がうまくいっているとしたら、ある種の現象 的特徴を持つことの特性は機能的本質を持っていることである。しかしこれは個々 のクオリアがその本質として機能的であるとは示していない。


[qualia:2093]村上
元の内容の主旨とは直接関係ないのですが,以前話題に出ていた「逆転眼鏡」と同じように,例えば赤と緑を逆転させるような眼鏡(CCD&Display?)をかけて暫く生活していたら,どのような事が起こるのでしょうか。たぶん,赤と緑が心理的に再逆転されて元に戻る…なんてことは無さそうな気がするのですが,何か変な事が起こりそうではあります。

> これに対してこういう反論がある。「あなたと私が本当にすべての点で機能的に
> 同じでしかし現象的には違っている、というのはまだ想像可能だ」。しかしこの主
> 張は機能主義には反対するが物理主義は受け入れる哲学者にとって問題とな
> る。もし物理的コピー人間が形而上学的に不可能であるならば、どうして機能的
> コピー人間はよいのか?(もちろんこの反論はクオリアが還元不能な非物理的

これは人間の機能とは何かという問題を曖昧にしたまま考察しているために出て来る疑似問題ではないかとも思えます。もし,この問題における「人間の機能」とは何かを述べる明確な定義を御存知の方がおられましたら教えて下さい。

> もうひとつの思考実験の「中国人集合体システム」議論(Block (1980))では「何億
> 人もの中国人がそれぞれお互いと、それから人工的な脳のない体と通信できる
> ようなトランシーバーを持っている。体の動きはトランシーバーの信号でコントロ
> ールされ、その信号自身は中国人たちが全員見ることの出来る巨大ディスプレ
> ーの指令によって作られる。」もしこれが実現されるとして、このシステムが感じ

実験の仕組みが(原文を読んでも)今一つはっきりしないのですが,その巨大ディスプレイには,各々の中国人に対する個別の指令が表示されるのでしょうか? その場合,そのディスプレイに表示される指令をどのようにして作るのかという問題がcriticalなように思えます。その指令に従って動く機能よりも,その指令を作るための機能こそ,正に意識を持った脳でしか有り得ないような…?

> 能的コピー人間は、私自身の内的状態の信条までもが同じであり、「中国人集
> 合体システム」が痛みを経験することになるだろう。」もしこの返答がうまく
> いっている

上の疑問が正しければ,必ずしも中国人集合体システム自体が意識を現す必要は無さそうです。(でも,現れた方が面白いですが(^_^;)) しかし,こういう思考実験はなんでいつも中国人なんですかね。そう言えば,推理小説の戒律では逆に中国人禁止なようで。


[qualia:2096]吉田
At 22:47 00/3/12 +0900, murakami-san wrote:
> 元の内容の主旨とは直接関係ないのですが,以前話題に出ていた「逆転眼鏡」
> と同じように,例えば赤と緑を逆転させるような眼鏡(CCD&Display?)をかけ
> て暫く生活していたら,どのような事が起こるのでしょうか。たぶん,赤と緑
> が心理的に再逆転されて元に戻る…なんてことは無さそうな気がするのですが,
> 何か変な事が起こりそうではあります。

これはおもしろいかもしれませんよ。逆さめがねでの位置の場合は、網膜レベルで上下または左右の対称性があるわけですが、色では網膜の光感受性細胞(錐体)レベルでは赤―緑、青―黄という軸はまだなくて、1段処理が進んだあとの神経節細胞のレベルで起こります。つまり、光の波長レベルでは赤―緑に対称性はないので、逆さめがねとの違いが出てきて面白いかもしれません。実現するにはどうすればよいかぱっとわかりません。色空間を青黄白黒の面でひっくり返すだけですが、単なるスペクトルの逆転ではうまくいかない感じがします。錐体の感受性の曲線がどっかに効いてくるかもということ及び神経節細胞での処理の代わりがどっかに入ればよいかという印象です。(専門用語炸裂させてしまいましたが、ご勘弁を。どなたか考えてみないですか。)

ちなみに、"Vison Science"(visual awarenessについて一章分を割いて哲学的背景から説明をしている貴重な本)の著者Steven PalmerがBBS: ftp://ftp.princeton.edu/pub/harnad/BBS/.WWW/bbs.palmer.htmlでこの話の最新版を考えているはずです。まだ読んでません。

「あなたと私が本当にすべての点で機能的に同じでしかし現象的には違っている、というのは想像可能だ」というのを著者は撥ね付けてますが、他者のクオリアを知ることは出来ない、ということを考えれば、これは想像可能な話に思えます(もちろんこれは別物ですが)。

> 実験の仕組みが(原文を読んでも)今一つはっきりしないのですが,その巨大
> ディスプレイには,各々の中国人に対する個別の指令が表示されるのでしょう
> か? その場合,そのディスプレイに表示される指令をどのようにして作るの
> かという問題がcriticalなように思えます。その指令に従って動く機能よりも,
> その指令を作るための機能こそ,正に意識を持った脳でしか有り得ないような…?

全員に同じ指令が出そうに読めますが、それでは全然機能できそうにないでしょうね。それからホムンクルスの問題および個々のニューロンの動態の総和からどうやって意識状態が「創発」されるかという問題にぶつかりますし、この話は私も正直ピンとこない感じです。


[qualia:2100]村上
> 「あなたと私が本当にすべての点で機能的に同じで
> しかし現象的には違っている、というのは想像可能だ」
> というのを著者は撥ね付けてますが、
> 他者のクオリアを知ることは出来ない、ということを考えれば、
> これは想像可能な話に思えます(もちろんこれは別物ですが)。

これは深く考えていると頭がこんがらがります(^_^;)。「機能が同じ=他人か ら見て振舞いが同じ」であるなら,確かに現象が同じかどうかは分からないで すが,その場合,「現象が同じ」である事をどのように定式化すれば良いのか 不明で,そもそも「決して見えない」と仮定したものが「同じであるか否か」 を問うのは,機能や物理以前に,論理の問題に属しているようにも思えます。 かと言って,徹底して論理的に考えてしまうと,たぶん機能主義が結論される のは明らかなような気もするので,そうなるとそもそも何を考えていたのか分 からなくなってしまう(^_^;)。この問いは果たして論理的考察によって解決で きるのでしょうか? 元の問題を表す命題に「機能」と「現象」という用語が 入ってますが,これはそれぞれ「客観」と「主観」に対応しており,すなわち 元の命題は「客観が同じでも主観が異なりうる」と換言できそうです。しかし, そもそも論理的関係を拒否する断絶こそが主観と客観の概念対立に現れている のだから,その対立を問題の表現に最初から取り入れてしまうのは行儀が悪い, とも思えます。心脳問題の核は,解答以前に,先ずはいかに正しく問うかとい うところが難しいですね。


[qualia:2178]吉田
「中国人集合体システム」は(おそらく)意図せずコネクショニスト的なニューロン集合による機能的動作を表している感じがします。うーん、チャーチランド「認知哲学」も読んでないです。私。

お勧めエントリ


月別過去ログ