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■ 「圏論の道案内」のはじめの方を読みながら考えたこと(つづき)
「「圏論の道案内」のはじめの方を読みながら考えたこと」のつづき。
圏論の初学者としてひとつ面食らったのが、恒等射のときに同じ対象が2回出てくること。私はベイズの因果グラフの表現に慣れているから、同じものが2ヶ所に出てくるのは違和感なのだけど、圏論では対象はあくまでも射の性質を規定するものだから、同じ対象が別のところに出てきてもよい。これは初学者にとっては自明でない前提だ。
つまり、ベイズの因果グラフというのは、あくまでも対象のほうが先にあって、それらのあいだの因果関係として有向グラフの矢印が付加されるものなので、こちらでは同じ対象が別の場所に2度出てきてはおかしい。当たり前だと思うかもしれないけど、こうやって言語化してみて、初めて納得がいく。
こうやって書いてみると、圏論で同じ対象が複数出てきてもよいのは、あくまでも射が主役であって、それの性質を規定するものとして域と余域があるからで、恒等射では A=dom(f) かつ A=cod(f) という表現も、そこまで考えると(私にとってはやっと)納得いく。
なるほど!これは素晴らしい。因果グラフが実体論を引きずっているのに対して、圏論はあくまで射・矢印がすべてなので、object は二の次。矢印の方からdomain とcodomainが引き出されてくる。表面的にはわかっていたが、吉田式の噛み砕き方で理解が深まった。 https://t.co/LtdCZJy1ty— @ShigeruTaguchi September 8, 2019
そうです、さらにいえば、その下のf1とf2が同じかどうかは可換であるかどうかで決まるので、射の方すら、空間的に同じところを占めているかでは同一性を決めてない。この意味でも実体論から離れてる。たぶん。
うん、なるほど、射の実体論さえ抑止するという点で、圏論は本当に徹底してますね。西郷・田口本でも、数学は「固定」したら終わりで、むしろ徹底して「自由」でなければならない、という話をしています。「この特定の三角形」から離れられなければ、幾何学もありえない。こうした方向性の権化が圏論— @ShigeruTaguchi September 8, 2019