« 「公正なる世界戦線」(さうして、このごろ2015年6月版) | 最新のページに戻る | サリエンシーマップの計算用コード(2015年6月版) »

■ 盲視では「見えてる」? それとも「観えてる」?

(2015年5月のtwitter書き込みより再構成。)

Sci Reps論文のプレスリリースで、盲視についてどういう表現にするか思案中。これまでは「見えないのに無意識に見える」盲視とか書いてきた。なんかもっとうまい言い方はないか。「見えてないけど、観えている」盲視とか。なんかオカルトっぽいな。ボツ。「視えてないけど、判ってる盲視」なんかダメ。見る、観る、視る、識る。判る。分かる。

トヨタ生産方式とかの文脈で「見える化」と「視える化」の使い分けの例とかを見つけた。なんか造語でもするか。

逆か。「観えてないけど、見えている」盲視。こっちはなぜかオカルトっぽくない。ふしぎ!

ここ見ると元のやつでいいかもって思う。「「見る」->視覚によって、物の形・色・様子などを知覚する。「観る」->判断を下すために、物事の状態などを調べる。(三省堂提供「大辞林 第二版」) 」URL:「「見る」と「観る」」

ベイトソンが引用していたウイリアム・ブレイクの「賢者は輪郭を見る」、これは「観る」だろう。”Wise men see outlines and therefore they draw them”

原文を見るとこれと並置されて"Madmen ..."という表現もあることを知った。

When Men will draw outlines begin you to jaw them
Madmen see outlines & therefore they draw them

ブレイクの”outlines”への言及はここにもある:”Nature has no Outline, But Imagination has.” (The Ghost of Abel)

とここまで潜ってはみたものの、これをどう活かせというのだろう?

といろいろやっていたのだけど、けっきょくプレスリリースは「見えてないのに分かってしまう」盲視はヒトでもサルでも同じという表現になった。


お勧めエントリ


月別過去ログ