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■ 統合情報理論IITについていろいろ考えた(2013年12月版)

トノーニ説のうち「intrinsicな情報」って部分がほんとうにintrinsicだろうか?そもそも「情報」であるべきなのだろうか?っていう部分ををいろいろ変えて試行錯誤してみればいいんではないだろうか、ってのが7月のSFNで大泉さんと話してて考えたこと。「複雑さ」でもいいわけだし、というかトノーニがEdelmanとやった90年代の仕事ではまさに「複雑さ」だった。


統合情報理論IITに関連して素朴な考えなんだけど、けっきょくのところ意識かどうかは別として脳の統合の度合いを定量化したいのだから、それにはいろんな定量化の仕方があって、べつにエントロピーだってかまわない。とノーニ理論でのもう一つの縛りは「脳にとっての情報」intrinsicであるという点なのだけど、それはさておき、脳にとっての情報であるかどうかは脳が使っているかどうか、何をコードしているかということから決まるので、あらかじめ決められるようなものではないので(スパイクを使わない、messyな解決法がありうる)、あれでいうintrinsicってほんとうにintrinsicか?って思ってる。

統合の度合いってのはけっきょくのところ個々のニューロン、サブセットのニューロンの活動では説明できない部分ってことになるので、だったらそれって高次相関じゃん?って思う。ヒトの860億個のニューロンの860億次相関なんてものはそもそも組み合わせ爆発で計算出来ないので定量化が不可能だってのと、IITでのphiが計算出来ないってのはそういう意味ではおんなじ話なんじゃないかなって思う。

だからさまざまな次元圧縮が出てくるわけだけど、それは人間のためのものでしかない。脳だってそれは計算していない。その計算出来ないような高次な構造が出来たときに物理法則として意識が創発する、みたいな論理構成の作業仮説になっているということだと思う。

ついでに思い出したらメモっておきと、VarelaやThompsonの"downward causation"って概念があるけど、個々のニューロンの活動がボトムアップに脳全体の脳波とかを作るのとは逆に、脳波の位相とかによって個々のニューロンの活動のタイミングが影響される、というのはdownward causationだと言ってよいように思うけど(もちろん循環してることそこが本質)、サブパーソナルのニューロン活動からパーソナルな意識、思考、行動決定の向きの逆が起こっていることをdownward causationと言っているように思えるときもある。

こちらは疑わしい。サブパーソナルでのcausalityとパーソナルでのcausality。このへんが以前の「物理的モデル」のあたりで考えたことなんだけど、つまり、ニューロンの状態空間での推移および心的(現象的)状態空間での時間推移を力学的モデルで対応づけることが可能だと、isomorphic (NCCが目指しているもの)だけではなくって、homeomorphicであるっていう話だった。

そういうことが可能なのかどうかは置いておいちゃあいけないのだけど置いておいて、どういう正しい力学系モデルを作るってのは結局のところ、Henry Markramのブルーブレインみたいにニューロンのコンパートメントモデルのレベルから脳全体の動態を物理法則(トランスミッターの拡散、膜電位の分極の移動、その他ぜんぶ)でモデル化した「本当の」物理モデルの近似として脳が「あたかも」あるポテンシャル関数を最小化するようにランジュバン方程式(<-知らないくせに言葉だけ使いたがるw)を作る、みたいなのがいわゆる(本当の物理法則ではない)「力学的モデル」ということのようだ。

自由エネルギー最小化原理もそうであって、「原理」という言い方にあるように、これまで知られている脳の動態(予測誤差最小含む)を包括的に説明しようとすると自由エネルギーであるといえる、というようなのがあの「原理」という言葉の選択であるらしい。って自分で言っててもうなにがなんだかわからないので、風呂掃除始めます。

っていまの書き方だと自由エネルギー最小化原理がランジュバン方程式になってるみたいな書き方になっているけどそのつもりはない。(<-過剰防衛)


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