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■ 河本英夫氏と学会で話をする

2003年の神経科学会に河本英夫氏がシンポジウムでの発表者として名古屋を訪れたので、さっそく発表を聞きに行ってきた。発表後、一時間ほど河本氏と他の参加者3名を交えて話をする機会を得たので、そのときに聞いた話などを以下にまとめる。うろ覚えで書いているので、正確なニュアンスが伝わっていないかもしれないことだけあらかじめご了承を。以下の事項について掲載した旨についての連絡のメールを河本氏に送ったところ、返事をいただき、誤解のある部分を指摘していただいた。これに基づいて加筆した部分を青色で表示する。この文章が河本氏が言ったことを正確に表しているとは保証できないことを断っておく。(加筆20030804)



河本氏の発表:「オートポイエイシス系としての脳」
河本氏の発表はオートポイエーシス入門、といった趣のもので四ページのハンドアウトを使ってスライドなしで約30分間行われた。オートポイエーシスのイメージ作りのために、見取り図無しに大工が家を作るという話を使っていたが、これでは自己組織化に対する説明との違いが見出せないため、お客にはわかりにくかったろうなと思った。もちろん、河本氏がそのとき発言したようにオートポイエーシスの概念をきっちり説明したら6時間はかかるようなものであろうし、時間制限を考えてのことだとは思う。しかし、観客はニューラルネットワークのような自己組織化について親しんでいるものは多いわけで、オートポイエーシスと自己組織化の差異の説明に集中させればより効率よかったのではないかと思った。
また、私としては「入力も出力もない」という概念への説明が食い足りなかった。Maturanaがハトのretinal ganglion cellでの色に関する反応を見る実験を元に「入力も出力もない」という概念を考えた、といままで散々書かれてきたわけで、神経科学者を前にしてその辺の話がもっと展開していたらもっと面白いのにと思った。(こういうことを書くと河本氏がそれはあなたがやりなさいと言うに違いない。私もそのつもりでいろいろ勉強しているところ。そうできるようになりたいと思っている。ちなみにMaturana HR, Uribe G, Frenk S 1968はハトの話ではない。)
システムが構成素によらないこと、新しく産出された構成素によってまったく違ったシステムが出来上がる可能性があるという話を強調していた。これがおそらく「メタモルフォーゼ」などでの河本流オートポイエーシスの展開なのだろうと考えた。あとで確認したところ、二重作動、というキーワードがこの概念を表しているようだ。(加筆20030804)
ハンドアウトには神経システムはニューロン細胞を産出する、と書いてあった。前にも書いたように、神経システムが産出するのは神経スパイクによるネットワークのパターンであり、ニューロン細胞を産出するのでは変ではないか、神経スパイクによるネットワークのパターンが次のパターンを産出していくからこそ「入力も出力もない」閉じた系として成立するのではないか、というのが私の考えだった。そこでシンポジウムの最後にそのように質問してみたのだが、40%ぐらいは賛成できる、というのが河本氏の答えだった。河本氏によれば、40%ぐらいと言ったつもりはないとのこと。氏の返答は私が聞きたかった部分に対する答えではなかったらしい。(加筆20030804) (なお、もう少し質問の意図を付け加えると、ニューロン間の相互作用を通じて神経細胞が産出されているとは発達段階でしか当てはまらないし、成人の脳で神経細胞が産出されるわけでもない。最近報告のある成人での神経新生が神経システムの作動を担っているとはとても言えないし、それでは認知活動とカップリングしている神経システムの作動としては不十分であるといえる。) *注 この部分について加筆あり。長くなったので後ろへ。(加筆20030804)
シンポジウム終了後に話をしましょう、という河本氏からの言葉をいただいたので、一時間ほど河本氏と他の参加者3名を交えて話をする機会を得た。


シンポジウム後の懇談:
話の始めに私がVarelaの方により近い立場にいることを表明すると、Varelaの神経現象学についていろいろと教えていただいた。河本氏いわく、現象学はフッサールのときから記憶をうまく扱えないという問題があり、記憶の問題を解ければ神経現象学が扱っている範囲の問題に関しては解けるようになる、とのことであった。河本氏も近著の「メタモルフォーゼ」では記憶と感情を内的に扱えるようにすることを動機としているとのことだった。「メタモルフォーゼ」を読んで確認したところ、主題的ではないものの、感情についてはp.148-152に記述がある。また、記憶についてはp.188-193で物質の記憶ということを扱っているが、これは人間の記憶とは別物であることが明記されている。(加筆訂正20030804)
河本氏の話には人を鼓舞するような勢いがあって、氏のオートポイエ−シス論が個人それぞれの創出、創作を促していく性格を持っているところを強調しているようだった。私は人生哲学化したオートポイエーシス論ですか、などと言ってみた。
さいきん私は表象とqualiaとが相互に排除し合う関係にあるのではないか、というようなことを考えていて、心身問題は神経システムと意識システムのカップリングの仕方という風に置き換えられるのではないかと私は河本氏に質問した。氏は強い口調でそれを否定し、神経システムと意識システムが(たとえば)相互隠蔽する関係にあるわけではないと返答した。意識システムは二重のやり方で構成素を指定することができるようになっているのであるということ、心身問題は解ける形の問題ではないのに解こうとする者が勘違いしている、という答えだった。また、心身問題に引っかからないように廣松渉「身心問題」(青土社)を読むことを推薦していただいた。(なお、あとで確認したところ、「精神のオートポイエーシス」『精神医学』p.127-129において、神経システムと心的システムが相互投影の関係にあり、投影の仕方によって構成素が別になるというふうに書いてあった。)
また、それに関連してVarelaの神経現象学での脳科学と現象学とが相互に拘束し合うという関係はあくまで方向付け原理(カントでいうレギュラティーフ)であって、これだけでは脳科学と現象学(=third person perspectiveとfirst person perspective)とを繋ぐことはできない、という言葉をいただいた。
話の終わりには、君らそれぞれが作って発展させていくんだと励ましの言葉をいただいた。ぜひそうしたいと思う。


あとがき:
というわけで最近ご無沙汰だった部分の頭が働き出してしまったところ。オートポイエーシス論成立のあたりからサイバネティクス初期あたりまでさかのぼろうとして集めた資料がたまったまま。結局のところ、私が「第三世代システム」まで読んで疑問で思っていたことの本性はおそらく「この考えをどう経験科学に生かせるのであろうか」ということだったのだろう。「メタモルフォーゼ」のはじめのほうを読む限り、河本氏はこの問題を強く意識しているようだ。(「…経験科学の現場での現象の見え姿の輪郭を更新していくはず…できるだけ経験科学の多くの事例を手がかりにして…」p.24)(加筆20030804)


*注 おそらくここに関してと思われる河本氏のコメントをパラフレーズすると、神経細胞を構成素としていったん神経システムが作動しだすと、産出される構成素は多次元化して、神経スパイクによるネットワークのパターンも構成素となって機能分化が起こる、ということであるようだ。ここでも二重作動に重点を置いた氏の最近の考えが反映しているらしい。なるほど、そういう意味では一つの細胞としての神経細胞のシステムと、神経スパイクによるネットワークのパターンによるシステムのあいだに発達時の神経間相互作用を作動の単位としたシステムを考える、というのはありうるであろう。こうなるとどこまでを一つのシステムと見なすのか、という問題になる。作動する神経スパイクによるネットワークのパターンの側から見れば、一つの細胞としての神経細胞のシステムも発達時の神経間相互作用を作動の単位とした神経ネットワークシステムも別のシステムと言える。そもそもオートポイエーシスシステムは二重作動として描けると氏は書いているわけで、この辺についてはシステムと二重作動との関係、二重作動とカップリングとの関係をもう少し考えないといけない。「メタモルフォーゼ」二章までを読んだところ明示的には出てきていないと思うが、カップリングという概念を置き換えるように二重作動という概念が出てきたようにも思える。(加筆20030804)


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