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■ 「記憶力を強くする」書評
池谷裕二君のブルーバックスの書評をbk1とamazon.co.jpに書く。正直なところ面白く書けているので熱烈に誉め、少し批判する。「脳と記憶の謎 遺伝子は何を明かしたか」山元 大輔著や「学習する脳・記憶する脳 メカニズムを探る」磯 博行著と比べて書くという計画は頓挫。1600文字では無理だ。
書評タイトル:記憶の脳内メカニズム研究の最新の知見を含んだ入門書。おすすめ。
書評:★★★★★
池谷裕二さんとは大学、大学院を通じての同僚なので、その分差し引いて読んでほしいが、この本は記憶に関する神経科学の最新の知見を興味深く読ませてくれる良い本だ。
まず、構成がよい。海馬が記憶に重要であることから始まって、最新の知見を散りばめ、スクワイアやタルビングの心理学的枠組みへとつなげる。エピソード記憶と意味記憶の関係とかは本当はいろいろややこしいのだけど、うまいことストーリーが流れている。教科書丸写しではなくて、よく消化してから書いている証拠だ。このあとに神経細胞、シナプスについての記述があって、LTPとは何かが説明される。いきなり本の最初から神経細胞の説明に入ったらうんざりだから適切な構成だ。そして6章の「科学的に記憶力を鍛えよう」に入っていく。
そしてこの6章が面白い。実際のところ、ここで書かれていることは先述のエピソード記憶、意味記憶、手続き記憶などの枠組みを使った話であって、「最新脳科学が語る」というほどのことではない。けれども池谷さんの経験と信念がにじみ出た人間味あふれる文章になっていて魅力的だ。たとえば、「どの科目でも優秀な成績をとることができる学業の優れた人は、一つの科目すらもマスターしていない人から見ると超人的な天才に見えますが、しかし、それは生まれつき頭がよいというよりも、むしろ、いろいろな科目の学習能力が相乗しあった結果なのです。(216、7ページ)」なんてのは家庭教師をしていた学生に教えてあげたいセリフだ。
ツッコミどころを探してみた。ベートーベンの「運命」とシータ波の関係にはヲイヲイって感じだし、ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という言葉の捉え方はおかしいぞと思ったし、記憶力の累積の効果はいいけど生物にはS字カーブもあるぞ、とも思ったけど、この本の良さを損なうものではない。
もう一点コメントしておくならば、7章の「天才ネズミ「や「記憶力を増強する薬」の可能性については私は懐疑的だ。老化などによる機能低下を抑えるようなものはありうるだろう。けれども正常な海馬全体に対する操作でできることは限られていると思う。神経細胞一つ一つがそれぞれに別の情報をもっていて、それが集団として働いているのが脳システムだ。これに作用を及ぼすためには、脳がどういう情報を扱い、操作しているかが明らかにならないとわからないのではないか、これが私の考えであり、私がいま生理学をやっている理由の一つでもある(ちなみに私は記憶の「再生」に関する研究をしているラボ(259ページ)に所属している)。まあ、とはいえ、歴史からすれば、メカニズムより先に薬が見つかるのなんてのはあたりまえだし(精神分裂症とレセルピンとか、他のほとんど全てについても)、面白いニュースを待ってます、というのがフェアな態度か。(それでも正常からの増強ってのはね、、、アンフェタミンやプロザックをその例としてよいだろうか。)
この本の重要さを一つ指摘しておかなければ。この本には2000年あたりの国際科学雑誌の報告がてんこもりだが、これらが日本語で紹介されている一般向けの本は私が知るかぎりこの本だけだ。しかも羅列的でない。題材の取捨選択と配置がうまいのだと思う。人やサルの研究に関する言及が少ないのは専門家としては不満だが、1冊の本に全てを詰め込むことはできないからちょうどいい線だと思う。
この本は、新しい報告がどんどん出る分野を扱っているがゆえにそのうち古くなってゆくだろう。だから池谷さんにはあと5年たったらまたアップデートした本を書いていただけたらよいと思う。この本を記憶の脳内メカニズム研究の現状に興味のある全ての人に薦めます。