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■ 書評:金沢創著『他者の心は存在するか』(金子書房:1999)
まずは非常に面白かったです。最終章での著者の世界観を一通り作り上げるところまであっという間に持っていかれて、話の展開には必然性を感じました。
構成についてひとつ言うと、2章は知っていたことも多いし、1章での問題提起、そして本の題名といったところで問題追求型の話の進め方をしているはずなのにまだるっこしいと思いました。強く言ってしまえば、この章はなくても話は通じるし、その方が訴える力は強かったと思います (この章でいいたかったことが後の章にかかっていることは承知しておりますが)。逆にいえば、この本はいろいろ詰め込んであるような印象があるが、ここを除くと結構一本道で進みやすいか、と。
大切な5章の結論についてですが、主観的世界が始まりであり、進化的には、そこから外部世界が出来上がり、他者が出来上がり、自己が出来上がる、というのは私にもスムーズに受け入れられます。スタート地点は主観的感覚世界なのは確かで、そういう内部の視点を大切にする、という考えが私がオートポイエーシス論に共感する理由でもあります。しかし、こういう立場はここから先を進むのに苦労するんじゃないかと思います。それは現象学しかり、オートポイエーシスしかりで。なぜ、他者が同じような認知構造を持っていて、実際コミュニケーションができてしまうのか、というあたりに心身問題は視点の逆転によって隠された形で入っていると思うのですが、ここについて著者が[この一歩を踏み出してはいけない」(p.219)というとき、単に出発地点に問題を押し込んだように見えてしまいます。こういうのは「哲学」がまた始まる場所だと思うんです。
違ったレベルの話ですが、結局著者は「進化による説明」(2章より) に終始して、他者のメッセージがどうやって自分に信憑を与えるのか、などについての機構、機能のレベルでの説明が足りない(誰もできているわけではないと思いますが)のではないかと思います。このあたりが私は「心身問題は偽問題」という主張が証拠不充分だと思う理由のもうひとつです。これらの説明のためには、ニューロン、脳レベルでの説明が必要になるのではないかと思います。試しにひとつ考えてみたのですが、カエルの目を手術で180度回転させておくと、カエルは餌の位置に対して180度回ったところに舌を伸ばすだけで、外部世界と脳内表現の対応を修正できないらしいです(スペリーの実験など)。これに対して、ヒトやサルでは逆さメガネの実験(下條信輔氏の本など)で順応できてしまうことからわかるように、外部世界と脳内表現の関係を修正することができる。だから、カエルはレベル0の外部世界を持っていない状態、ヒト、サルはそれを持っていて、少なくともレベル1以上であるようです。そしてこのことはおそらく感覚―運動連関のfeedbackの有無などの形で機構として明らかにしていくことができるのではないだろうか、と思います。このような機構による説明を隅々まで行き渡らせることができたら、問題はまた違った形を見せる感じがします。
著書の締めが複数の宇宙、となっていて、どうも閉じた感じが気になって指摘したかったのですが、p.217での、「感覚情報を元に別のリアリティーを構成しうるような体系を作り出すことができれば、その枠の外に出られるのかもしれない」という点がqualia-ML #1689 で強調されていたのを見て、結構納得いってしまった感じです。
結論としましては、主観的感覚世界からスタートすることには共感を憶えました。そしてその結論が必然性を持っていると思いました。その先がデッドエンドな感じが正直言ってするのですが、ぜひここから先を進んでいくところを見せていただきたい、と期待を込めて思いました。