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■ 静止膜電位はどうやってできるの?

神谷さんのツイートで言及されていた神経細胞の膜電位の話についてだけど、

高校生物の静止膜電位について質問です。静止膜電位は、外側が+で内側が-になる…と習ったのですが、それはなぜでしょうか? プラスイオンが外側に多く、内側に少ないからか?と思ったのですが、専門書を見ると、むしろ内側のほうにプラスイオンが多いです。(Yahoo知恵袋より)

これはかなり根本的な間違いをしている。神経細胞膜の内側も外側も(マクロには)+イオンと-イオンは釣り合っていて、電気的に中性になっている。+イオンと-イオンとが分極しているのは神経細胞膜の近傍だけであって、分極したイオンが膜を挟んで引き寄せ合って分布することで神経細胞膜はコンデンサーとして働く(図1)。

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図1 神経細胞膜の内外でのイオンの分布
(カンデル本5ed. Figure6-1を元に作成)

巨視的に見て+イオンと-イオンが釣り合っていないなんて事態はよっぽどのことがないとおこらないということは化学を知っていれば理解しているはずだけれども、でもじゃあなんで電位差ができるのかということはネルンストの式をちゃんと理解しないと説明できない。

「これでわかるニューロンの電気現象」は神経生理学でつまづきやすい部分を対話形式で説明してある名著なのだけれども、この本の第1章はまるまるこの静止膜電位の問題に充てられている。

「キャンベル生物学」を見てみたけれど、たしかに細胞膜の内外のイオン濃度が代表的なものしか書かれていない。これがYahoo知恵袋での混乱のもとだった。じつはカンデル本5ed.(Table6-1)にも代表的なイオン濃度しか書かれていない(図2)。もちろん、Figure 6-1とその説明文章をちゃんと読めば電気的に釣り合っていることは書かれているのだが。

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図2 イカ巨大軸索での主要なイオンの濃度
(カンデル本5ed. Table6-1を元に作成)

「これでわかるニューロンの電気現象」のコラム5.1 (p.158)では、陽イオンの濃度の総和と陰イオンの濃度の総和が細胞膜の内外ともに釣り合っている、つまり電気的に中性だということが図で示されている。(ちなみにこの図の引用元はAidley "The Physiology of Excitable Cells"とのことだが、google booksからは該当ページ見つからず。)

じゃあどうやって電位差ができているのかという説明なんだけど、教科書をいくつか読み比べて、どんな説明をしているか調べてみた。

「これでわかるニューロンの電気現象」では「濃度の違うKCl溶液がKイオンだけ透過する半透膜で遮られたとき」という例を使っている。ネルンストの式が濃度勾配による仕事と半透膜間の電位差による仕事が釣り合った平衡状態であることをわかりやすく説明している。

この本の第一章のネタ本はreferenceとして挙げられているとおり、Eckert and RandallのAnimal Physiologyの5章なのだけど、この図を見れば分極は膜の両端でだけ起きているということがよく分かる(図3)。

membrane3.png

図3 K+イオンの電気化学的平衡
(Eckert and Randall 3rd ed. Figure 5-11を元に作成)

じゃあ、この分極している部分って細胞膜(厚さ5nm)の周りのどのあたりまでか、っていうと案外書いてない。少なくともカンデル本6章にはなかった。私も知らなかったけどWikipediaの膜電位の項目に書いてあった。膜の近傍の2-3nmだそうだ。

このあたりを深掘りするためには膜のチャネルをひとつの抵抗として捉えるような近似では追いつかなくて、膜の中を一定の電場として近似する定電場理論や、さらにチャネル内のエネルギー勾配をモデル化したりする必要がある。このあたりについては標準生理学8edのp.64-65やニューロンの生物物理 第2版のp.22-25に記述があるけどネルンスト・プランクの式(微分方程式)を導入する必要が出てくる。

じつは今回のブログ記事の個人的な伏線は、さいきんラボのOBの方たちと医学部の生理学教育においてネルンストの式をどこまで説明するか、どうやって説明するか、という話をしたことだった。あのあと、自分ならどうするかと考えていた。たぶん、図を多用して定性的な話をするべきで、それでさらに興味を持った者に対してはネルンスト・プランクの式とかを教える、という順番になるのではないかと思った。

(たとえば、ガイトン生理学ではネルンストの式は EK = 61(mV) * log10([Kout]/[Kin]) という表記を使っていて、RT/ZFを見えないようにしてある。しかもTは37度にしてあって、生理学実験でよく使う25度を使ってなかった。このへんはかなり実際的であることを意識していると思った。)

「これでわかるニューロンの電気現象」は著者が岡山大学の理学部生物学科の2,3年生を対象とした講義を元にしたものということなので、医学部の生理学教育を考えるのに良い題材であるといえる。「これでわかるニューロンの電気現象」およびEckert and RandallのAnimal Physiologyでは「どのくらい膜の近傍に限局してイオンが分極しているか」を説明するのに、膜の容量が1uF/cm2が上限であるということを使って、分極しているKイオンの数が細胞内の全体のKイオンと比べると1千万分の1程度であること、つまり膜を透過するKイオンによって細胞内のKイオンの濃度が変わったりはしないという説明をしている。これはわかりやすい。というわけで「これでわかるニューロンの電気現象」は素晴らしいのでおすすめ。(<-回し者)

(ちなみに、この説明を理解してもらうためには等価回路の概念の導入が必要であるので、正確に説明しようするとそれはそれでたいへんだと思う。脂質二重膜の実態に沿った説明と、等価回路を用いた説明をどのようにうまく使い分けて説明するかは、静止膜電位にかぎらず、神経生理学の教育において重要なコツとなるだろう。)

さきほどはカンデル本5edのTable 6-1に文句をつけたけど、どのように説明すると理解しやすいか、という眼でカンデル本を読んでみるとじつにうまく書かれていることがわかる。つか今回これ書くために読んでみて感服した。

カンデル本5edの6章では、Eckert and RandallのAnimal PhysiologyでのKイオンの半透膜の例を持ってくる代わりに、グリア細胞がほぼKイオンのleakチャネルだけである話を持ってきて、ネルンストの式の平衡状態を説明しておく。

そこからの差分として神経細胞の場合を説明している。神経細胞はKチャネルとNaチャネルからなるものと単純化しておく。グリア細胞ではKチャネルのみだった脂質二重膜にNaイオンのチャネルを付加すると、Naイオンが流入するようになってやがて膜間の電流の流れは0になるけど、ゆっくりとKイオンの流出とNaイオンの流入が起こる定常状態(平衡ではない)になってしまう。つまりそのまま放っておくとイオンの濃度勾配はなくなってしまう。それをせき止めるためにエネルギー使ってNa-Kポンプを回す話が導入されている。なるほどこれはステップバイステップでうまく説明してある。

今回この辺りの教科書を読みながら自分だったらどう説明するか考えていたんだけど、まったくゼロから説明するためには、「まず濃度勾配のない海水に脂質二重膜で壁を作って、Na-Kポンプを作って濃度勾配を作って、それからKチャネルを付加して」みたいなことを考えてた。でもこれはややこしくなりそう。カンデル方式のほうがすっきりしてる。

カンデル本ではその後でNa-Kポンプが静止膜電位を数mVほどnegative方向に押し下げるということも説明してある。これもKチャネルだけでネルンストの式を説明した後ならばすぐに理解できることなのでわかりやすい。ということでカンデル本おすすめ。と書くのも烏滸(うーろん)がましいが、あらためてその素晴らしさを実感したのだった。

(じつはこれらの教科書では触れられていなかったが、ニューロンの生物物理 第2版では、細胞内には有機イオン(A-)があってこれは膜の外には出られないのでドナン平衡を考慮する必要があって、これによってドナン浸透圧が説明できるということが書いてある。これは心臓の生理学に関わってくる。)


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