« ”the changes I'm going through” | 最新のページに戻る | 「カエルである」ってどんなかんじかな? »

■ こまごまとメモ。(20120521まで)

あとからピントを合わせられるlight field cameraの話に興味を持つのは、これがAdelson & Bergen 1991 (PDF)のPlenoptic Functionを記述しようとするものだから。

Adelson & Bergen 1991 はそれまでのmotion energy modelとかbinocular disparityとかいろんなものを統一的に扱えるという意味で視覚科学/コンピュータビジョン的に重要だ。

でもそれだけではなくて、わたしが重要だと思っているのは、これがギブソンの包囲光配列(ambient optic array)を数学的にcompleteに記述したものだから。これはわたしの妄想ではなくて、Adelson & Bergen 1991の本文にも書かれている。

ギブソンの本を読むとさっぱり数学が出てこないので、かえってわかりにくくて困るのだけど、しかもそれは反表象主義的な態度から来ていることも推測されるのだけれども、でもPlenoptic Functionでちゃんと「不変項の抽出」とか扱ってやればいいんじゃないのか?とか思う。

なぜかはよくわからないけど、Adelsonは1992のplenoptic camera以降はplenopticという言葉が入った論文を出してないし、このへんの問題意識を後継しているものが見つからない。見逃しているのだろうか?

アフォーダンスが脱臭されてgraspingとかの行動選択の情報として扱われるのと同じように、包囲光配列も数学的に扱うだけで脱臭され、それの含意する「直接知覚」的な立場は危うくなってしまうのだろうか? もうちょっと考えてみることにしよう。


"The Cost of Accumulating Evidence in Perceptual Decision Making" JNS2012 こういうかんじにaccumulator modelで時間が経つごとに閾値を下げてゆくというのはわたしもV1 lesionでdiffusion model使ったときに考えたけど、複雑になるだけだから避けてた。

いまだったら、deliberateである=accumulationする、reflectiveである=accumulationさせない、という感じで論じることもできそう。

つまり、normalではLIPを使ってevidenceのaccumulationができるのだけれども、blindsightでは蓄積できない(SCで積分でなくシグナルそのもので閾値を切る)=>いつまでたっても確証がない=>reflexiveになる。

サルではスピードのコストが高いので応答潜時は早くなる。ヒトではスピードのコストが低いので応答潜時はかえって遅くなる。そして、この「確証を与える」という部分こそが意識の機能であり、メタ認知との関連性に関わるとか云々。

蓄積できるということは時間をまたぐということなので、そういう意味では意識に時間の流れが必要なのはたしかで、でもそれは作業記憶みたいなものとは違うだろう、って話の流れ。

この話(deliberate=accumulation)はAndy Jacksonと議論しているときに考えた。Andyはそのときたしか、thresholdが時間で一定だってのは妥当な過程か?と聞いてきたはず。そのときは鋭いなあと感心したのだが、Andyはシアトルにいたので、Shadlenのこの仕事の話を聞いていたのかもしれない。


"Effects of Visual Experience on the Human MT+ Functional Connectivity Networks" Front. Syst. Neurosci. 2010

congenital blindでもMTはtactileとかで活動する。だから、V1スキップしてMT活動したときの感覚はvisualというよりはもっと抽象的なものかもしれない。


眼球運動の定量的な取り扱いでは網膜の座標だとspherical coordinate (radial distance, elevation, azimuth)になって、筋肉の座標だと外眼筋で三軸あって、オイラー角でroll-pitch-yawに対応する。

オイラー角なじめなかったけど、飛行機の進む向きで考えればよいのか。進行方向で上げ下げするのがpitchで、進行方向の軸で回るのがローリングで、左右に曲がろうとするのがヨーイングか。おぼえた。

そうなると、上丘での網膜依存の座標(spherical coordinate)から外転筋の座標(オイラー角)への変換となる。ただし、torsionはあんまり使わないから、pitch-yawだけでコントロールする。

眼球運動のコントロール自体にはあまり深入りせずにきたけど、軌道の議論とかをちゃんとやろうとするとこのへんを避けるわけにはいかない。

ジンバルロックとかなにその名前、かっこよすぎる。(<-老いて学び、なんだったっけ?)



お勧めエントリ


月別過去ログ