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■ あの、なんだか宙に放り出された感じ。

高校3年になっていきなり受験モードになった教室になじめなかった野郎ども(運動部引退直後)はすることがなくて、でも意地でもその空気になじみたくなくて、毎日夕方ギリギリまで中庭でサッカーというか今でいうフットサルみたいなのやってた。

けっきょくわたしは眼底出血で入院とかもあって、高3の共通一次は補欠試験を受けて、千葉大の足切りで落ちて、2月頭には受験は終了してしまった。そんな顛末からほぼ自動的に卒業旅行の幹事に。あれはひどい仕切りだった。春の軽井沢とか行っても何もねえ。スケートできてやっと何とかなったかんじ。

急にそんなことを思い出した。あの、なんだか宙に放り出された感じ。自分が原点に戻るというなら、どこまでさかのぼるかというと、あの場所かなとか思う。あそこからもう一度やり直すとしたら、自分はいったい何をやっただろう。というか、そこからもがき続け、なんにも変わってないなとも思う。

けっきょく功利的に合理的にやってくことなんてぜんぜんできなかった。想像力に欠けたロマンティシズム(<-最悪の組み合わせ)で重要な選択をなんども無駄にした。あのとき寝飛ばさずに電話を取れたらなんか変わったんだろうか? いや、なにも変わらないだろう。

あのときあの失言をしなかったらなんか変わったんだろうか? いや、なにも変わらなかったろう。なんども吐き、なんども倒れ、救急車を呼ばれたり、なんかぶっ壊したり、いろいろと自滅しながら、なんであんなにも自分が許せなかったのだろうか。なんであんなにしぶとかったんだろうか。

自分では屈託があり、含羞もある小物だと思っていたけど、自分から見たものなんて当てにはならない。あとから答え合わせで、じつはこんな風に考えていたんだと明かされて、世界が崩壊するような恐怖を覚えて、そして自分の脳天気さに呆れて、でもピンピンしている。

あのときあの失言をしなかったらなんか変わったんだろうか? よかれと思っていったことが全部お節介で、何もしなかったことがぜんぶ事なかれ主義で、俺はもう何をしたらいいかも分からなくなっていた。だからそんなところからさっさとおさらばできるということにちょっとほっとしていた。

罪は消えない。恥も消えない。苦しみの記憶とともに、心の底の方になんだかいやあなかんじで沈殿してきて、見て見ぬふりをしないと日常生活さえこなせない。それでもたまにはそれに復讐されたりする。

「だがこれは過ぎたことだ、いまではわたしは美に敬礼するすべを知っている」とか言って終わったことにするのってかっこつけすぎだよなあ。だが人生は続く。


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