« Neuron 三月号 | 最新のページに戻る | アクセス向上施策 »

■ 日記の効用

忘れたころに書いてみる。
ガヤが見通しよくすべきでないと考えることは良いことだと思う*1。こっちの言いたいことも伝わったうえでの見事な返しだと思った。これについては深入りせずに自分について書く。
私の場合は書いてみないと思いつかない性質なので、もう、書くしかない。放っておくと、ただただ混沌を抱えたままになってしまう。ぎりぎりまで絞ってゆかないと力は出ない。ぎりぎりまで絞ってゆくには、キーボードたたいているのではかったるすぎる。きっちり考えるときと日記を書くときとでは頭の使い方が違いすぎる。というわけでこの日記では、守備範囲を広げるために半可通な知識しかないところについて恐れず書くことで、読者のツッコミを待つ、という方向性を取ることにしたのだった。(私基本的にはキュートなボケキャラですし。)Stochastic resonanceだってlearning theoryだってアフォーダンスだって私は冷や冷やしながら、本職が来るのを待っているのだ。来なかったけど。でもまだ待ってる。
そういう意味ではもっとたくさんの人に見てもらえるような状態を作らなければ無理なわけで(現在定期的に来てくれているのはmaxで30人ぐらいです)、現在私はジレンマにある。人数が増えれば変な人が現れて荒れるのは必至なわけで、それだけは避けたい。以前経験したのだが、一日中ネットでの議論のことを考えているなんてのは間違ってる。というわけで、へんに宣伝せずに、少しずつ読者が増えるのを待とうというのが現在の戦略だ。だんだんgoogleで引っかかってくるのが増えてくれば昔のエントリーに言及してくれる人が来てくれるかもしれない、と望みながら。


*1:議論しているとかに思うのだが、ある種の確信と信念を持ってものを言うのが一番伝わるやり方だと思うし、一番重要な局面ではそうやって来たと思う。しかしそれだけでやってくと頑なになって大切なものを見失うときがあるし、私は自分で言ったことに縛られるところがあるのでそれが問題になることがある。これが私の実感。


お勧めエントリ


月別過去ログ