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■ 「おたく」の精神史 一九八〇年代論 講談社現代新書 大塚 英志

「おたく」の精神史 一九八〇年代論 講談社現代新書 大塚 英志 「おたく」の精神史 一九八〇年代論
読了。うーむ。著者も書いているようにこの本は80年代を懐かしむようなものではなく、宮崎勤の事件から神戸小学生殺人事件への流れを軸にしているので、読後感としてはけっこう暗い。私自身は80年代後半は別冊宝島を読むようなやつで、バブル期の大学生文化から外れたところにいてなんかいい目に会えなかったので、『80年代の正体!』での「80年代はスカだった」にはけっこう胸のすく思いがしたものだ。で、今回の本はそれにかなり近い感じがあった。扱ってるものが重複してるし、と言われるのはきっと好まないだろう、「80年代はスカだった」という言い方が「80年代」を延命させてきたというのが大塚氏の主張なのだから。でも、言うほど差はないと思う。最初と最後でそういうふうにまとめたようにも見えるし。
私は90年代はどちらかといえばオタク(notおたく)というよりはサブカルだったと思う。サイケやプログレを中心としたロックマニアだったし、Quick Japan*1やStudio Voiceとかそういうの読んでた。エヴァンゲリオンについては私はQuick Japanの竹熊健太郎の記事や庵野秀明のインタビューなどを読んだだけで済ませてしまってまったく見てない。いま時間があったらみたいが。そして00年代から急速にオタク方向へ、セカイ系(しかしこれって便利な婉曲表現だなあ)っぽいものへと向かっている現在。ってべつに自分語りしなくてよいのだが。
でこの本に戻ると、けっきょくおたくの道が行き止まりであって、神戸小学生殺人事件まで辿り着いてしまった今、どこまでさかのぼったらやり直せるだろうか、という筋なわけで、しかもおたくではないから他人事だというわけにはいかない、という意味では東浩紀の「動物化するポストモダン」と同じ一般性のロジックにあるのな。それはある種のテクニックでしかないようにも思えるが。
ここで書かれている、現実が虚構の世界で使われていたものを取り込んでいる、というか取り込まれている(オウム、多重人格、プロレスと戦争)というのは重要な指摘だと思う。「現実と虚構との区別がつかなくなっている」ではなくて、「虚構の世界であったものが、現実の世界で起こっている」というほうがましな物言いであるのは間違いない。


*1:Quick Japanは準備号から買ったが、あるときは鴨川つばめ、あるときはGreatful Dead、あるときはナンバーガールというナイスな雑誌だった。


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