は必ずしも外界の変化に対応した変化ではないかもしれない。もしneural correlateを環境世界とのループの中で捉えるのであるならば、[外界の変化に対して脳がまったく変化しない]ということが何らかの現象のneural correlateであるということがありうる。
いつも不思議に思うのですがfMRIで引き算すると必須なものまで引いてしまってそこから誤解が生まれることとかってないですか? あと「ぬ」に関係して、Neural correlateとは関係ないけれど、RumelhartのNecker Cubeモデルを思い出しました。 もう一個。Neural correlateは「無変化」もあり得るという話に賛成。茂木さんは「スパイクこそが情報の全てでそれ以外にはない」としていますが、私は「神経の沈黙(no spike)も情報になる」と考えています。竜安寺の石庭みたいだな(かんけーねーか)。そう考えるとRate vs. Temporal Coding対立も見通しが良くなりますね。
サンクス。Binocular rivalryってのがまさにNecker Cubeみたいなもん。右目と左目に別々の絵が入ってくると、右目の画像しか見えない時間と左目の画像しか見えない時間とが交互に訪れる。これも視覚情報として入ってくるものは同じだけれど、人間の都合で見えが変わる。これを発見。http://www.twcu.ac.jp/~asakawa/chiba2002/Necker/Necker.html 意図してなかったんだけど、昨日出た二つの状態が遷移するという話の続きになったね。MRについてはまた。 ガヤ日記3/5についてだけど、これはおもしろい。2/29に私がコメントアウトしたところに「その直前までの状態の来歴が必要なのか、それともそのシステムは記憶を持たずに済むのか(次の状態を決定する関数には現在の状態だけが必要なのか、それとも以前の状態も必要なのか。)はわからないが。」なんて書いてたもんだから、けっこう驚いた。ある時点iでのネットワークの状態D(i)がそれ以前の状態D(i-1),D(i-2)....のどのくらいに依存しているのか、これはまさにシステムはどのくらい過去(因果性)を持っているのか、という問題への答えだと思う。さらに言えば、それが外部入力(スライスだったら別の領野などへの刺激でもよい)によってドライブされるときにはそれがどう変わるのか、という興味も湧く。アトラクターの谷が入力によって変わり、その上を遷移していたある時点での状態D(i)は自発状態時とは違った方向へ進んでゆく。これがミクロレベルでの遷移ともう少し大きいスケールでの谷の変化とのinteractionという感じか。 経験の一回性または時間性というものは環境世界との関係においてシステムの何かが常にまったく同じではないことからきていると考える。そしてこれをネットワークのシステムの因果性、来歴への依存性から語ってみる。(飛ばしすぎ。) MRについてはたとえば、あるタスクについて安静時からの差分でまずどこが活動しているかを同定してから、そのROIにおいて活動の大きさが条件によってどう違うか、activationなのか、disinhibitionなのかを議論する、というのがMRの手続きの一つです(ROI analysis)。なんにしろ、「必須なものまで引いてしまって」ということが起こらないように、いかにうまいコントロール条件を作るか、というところがMRでの研究での要点の一つである、というのが私の理解です。 あ、記憶、というのは人間の短期記憶や長期記憶、というつもりで使ったのではなくて、マルコフ過程であるか否か、ということのために出した言葉でした。なんにしろ、ある時間の状態、というやつをどのくらいのビン幅で見るかによって変わる話ではあるわけだけれど。
その意味でしたら答えは私のとった手法は明らかに非マルコフです。重マルコフ過程として捉えるとしたらその次元はおっしゃる通りBinningに依存してきますね。
サンクス。重マルコフ過程と言えばよかったわけだ。3/8に続く。
# ガヤ
いつも不思議に思うのですがfMRIで引き算すると必須なものまで引いてしまってそこから誤解が生まれることとかってないですか?
# pooneilあと「ぬ」に関係して、Neural correlateとは関係ないけれど、RumelhartのNecker Cubeモデルを思い出しました。
もう一個。Neural correlateは「無変化」もあり得るという話に賛成。茂木さんは「スパイクこそが情報の全てでそれ以外にはない」としていますが、私は「神経の沈黙(no spike)も情報になる」と考えています。竜安寺の石庭みたいだな(かんけーねーか)。そう考えるとRate vs. Temporal Coding対立も見通しが良くなりますね。
サンクス。Binocular rivalryってのがまさにNecker Cubeみたいなもん。右目と左目に別々の絵が入ってくると、右目の画像しか見えない時間と左目の画像しか見えない時間とが交互に訪れる。これも視覚情報として入ってくるものは同じだけれど、人間の都合で見えが変わる。これを発見。http://www.twcu.ac.jp/~asakawa/chiba2002/Necker/Necker.html 意図してなかったんだけど、昨日出た二つの状態が遷移するという話の続きになったね。MRについてはまた。
# ガヤガヤ日記3/5についてだけど、これはおもしろい。2/29に私がコメントアウトしたところに「その直前までの状態の来歴が必要なのか、それともそのシステムは記憶を持たずに済むのか(次の状態を決定する関数には現在の状態だけが必要なのか、それとも以前の状態も必要なのか。)はわからないが。」なんて書いてたもんだから、けっこう驚いた。ある時点iでのネットワークの状態D(i)がそれ以前の状態D(i-1),D(i-2)....のどのくらいに依存しているのか、これはまさにシステムはどのくらい過去(因果性)を持っているのか、という問題への答えだと思う。さらに言えば、それが外部入力(スライスだったら別の領野などへの刺激でもよい)によってドライブされるときにはそれがどう変わるのか、という興味も湧く。アトラクターの谷が入力によって変わり、その上を遷移していたある時点での状態D(i)は自発状態時とは違った方向へ進んでゆく。これがミクロレベルでの遷移ともう少し大きいスケールでの谷の変化とのinteractionという感じか。
経験の一回性または時間性というものは環境世界との関係においてシステムの何かが常にまったく同じではないことからきていると考える。そしてこれをネットワークのシステムの因果性、来歴への依存性から語ってみる。(飛ばしすぎ。)
MRについてはたとえば、あるタスクについて安静時からの差分でまずどこが活動しているかを同定してから、そのROIにおいて活動の大きさが条件によってどう違うか、activationなのか、disinhibitionなのかを議論する、というのがMRの手続きの一つです(ROI analysis)。なんにしろ、「必須なものまで引いてしまって」ということが起こらないように、いかにうまいコントロール条件を作るか、というところがMRでの研究での要点の一つである、というのが私の理解です。
あ、記憶、というのは人間の短期記憶や長期記憶、というつもりで使ったのではなくて、マルコフ過程であるか否か、ということのために出した言葉でした。なんにしろ、ある時間の状態、というやつをどのくらいのビン幅で見るかによって変わる話ではあるわけだけれど。
その意味でしたら答えは私のとった手法は明らかに非マルコフです。重マルコフ過程として捉えるとしたらその次元はおっしゃる通りBinningに依存してきますね。
# pooneilサンクス。重マルコフ過程と言えばよかったわけだ。3/8に続く。