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■ サリエンシーマップと視線計測の日本語総説を(昨年)ふたつ書きました

昨年はサリエンシー・マップと視線計測についての日本語総説を二つ書いた。

サリエンシー·マップの視覚探索解析への応用 日本神経回路学会誌 Vol. 21 (2014) No. 1 p. 3-12 http://doi.org/10.3902/jnns.21.3

視覚顕著性(視覚サリエンシー)の神経ネットワーク 神経心理学:30(4), 268-276, 2014

そのときのメモ書きをまとめてみた。


「 神経心理学雑誌」の日本語総説の終わりが見えてきた!

「サリエンシーの神経ネットワーク」ということで書いているのだけれど、神経回路学会誌に書いた方は計算論寄りだったので、今回は神経生理の知見とか脳部位の方に重きをおいてる。

[特徴の分析]-[特徴マップ(強度ではなく空間コントラスト)]-[サリエンシーマップ (特徴と出力に依存しない)]-[priority map (WTA後、TDとの統合、運動のゴールそのものではない)]-行動、という図式を書いて、それに脳部位を当てはめるってそんな簡単に当てはまらん。

V1は方位の特徴分析のレベルであって、特徴マップではない、輝度コントラストをコードしていて、輝度コントラストのサリエンシーは持ってない、V4,LIPは特徴マップ~サリエンシーマップのレベルだが、サリエンシーモデルで想定しているようなfeature invarianceがあるわけではない。

FEFとSGIはpriority mapのレベル。どちらとも運動との解離は示されている。SGSはmotion saliencyは持ってるので特徴マップであるとは言える。feature invarianceがあるとはいえないが、視覚と聴覚の統合という意味でのinvarianceはあるかも。結論として言うと、純粋にボトムアップでかつ特徴に依存しないようなサリエンシーマップ、というものは多分脳の中にはない。

特徴マップとpriority mapは脳の中にはあって、その中間には両者が混ざっているものがある。とだいたいこんな方向で。


「この解説では視覚のサリエンシーについて扱う」と書いた途端に「(他の知覚モダリティーではなくて)視覚の」と付け足したくなるのだけれども、これをやっているとキリがない。親切なようでくどい。でも読み飛ばされても困る。「言葉で世界の意味を切り分ける」ということの重さと距離感を感じる。

つまり元の文章は「(ほかでもない)この解説(原著論文ではない)では(他の知覚モダリティーも大事だけど)視覚のサリエンシー(と関連する概念を比較しながら概念を明確化して定義する)について扱う(詳述と言える重さではない)」くらいの万感の思いが込められている。

でもまさにサリエンシーの問題であって、「視覚のサリエンシー」と言われたら「サリエンシー」という言葉のほうが耳慣れないからサリエンシーが高い。よって側方抑制が効くので「視覚の」の部分のサリエンシーは低くなる。こうして「サリエンシー」という言葉しか伝わらない。

これが「一文にはひとつのメッセージだけ」という教えの根拠といえるかもしれない。さらに言うならこのような意味での側方抑制は複数の文の間でも効くので、パラグラフの最初の部分にトピックセンテンスを持って来いというのは、パラグラフの最初のサリエンシーが高いからだ。

ついでに記憶の系列位置効果も。(<-サリエンシーという概念の濫用)


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