« そうして、このごろ0609 | 最新のページに戻る | JNP 6月号 »
■ Alva NoëとかEvan Thompsonとか。ここまで。
2月に書いたまま放置してたやつを貼ります。もともと060220のつづきのつもりで書いていた(だからタイトルがそんな感じ)のだけれど、なんだかわからなくなってきてます。
そろそろとりとめなくなってきたので、このへんでいったん締めます。

現象学はわかるようになりたいなあ。これはかなり優先度が高いです。でも、フッサールを読まずにメロポンだけ読もうなんてバカにされるだけなんだろうなあ。途中で止まってる「行動の構造」。

「身心問題」廣松 渉を読んでたときも似たようなことがありました。ライルによる「カテゴリミステイク」の議論を持ってきて、いっぽうで現在の心の哲学者たちはその辺がわかってないのではないか、とデネットの文章を引いて、「議論のレベルはこれでだいたいわかるであろう」なんて書いてます。ですけどね、デネットはライルの弟子ですよ! そんなことわかってないわけないじゃん、……たぶん。
ともあれ、現代の意識論をやってる人は、そういうところからふたたび議論を起こそうとする、「回帰する問題」をやってる人たちなんだと思う。だからこそ、arational agentさんの文章にもあったように、分析哲学者が扱うのは「意識を現在手持ちの自然科学的手法や理論装置で説明できる見込みがあるかというメタ的なテーマ」だったりするわけで。……ま、だからといって、カントやウィトゲンシュタインやライルを読まなくっていいって話じゃないわけだけど、すべてをやることは無理だ。
こっち系の話はやりたいことも書きたいこともいろいろあるのだけれど、と に か く じ か ん がー た り な い(「すばらしい日々」のメロディーで)。論文書きしながらrecordingの準備してるところですよ、これで。
- / ツイートする
- / 投稿日: 2006年06月11日
- / カテゴリー: [Alva Noeの知覚理論]
- / Edit(管理者用)