« 生理研研究会アンケート締め切りは11/19(金) | 最新のページに戻る | OpenFrameworksいじってみた »

■ ぼくを取り囲む、心配事のスレッド

「世界はデタラメである」とは最適化されていないものを見たときに感じることだけど、キツキツにチューンされていないものを見ることは救いであったりもする。だが、その最適化されていないというのが、進化と来歴の元でlocalには最適化されているが、globalには最適化されていない、ということを指しているのなら、当たり前すぎてつまらない。

なんかそういうのではなくて、考慮すべきパラメータが多いうえに統計的に取り扱うこともできない、みたいな制御不可能なもののイメージを探してみよう。King Crimsonのredのジャケットの、メータが赤に振りきれているあれ? いやあれはポジティブフィードバックのイメージだ。じゃあさ、仕分け現場とか?

整然としているものを見たら、取り澄ましてないでもっとぐちゃぐちゃに行けよと思う。いっぽうで、雑然としていて手をこまねいているのを見たら、もっと頭使ってクリアーに行こうぜって思う。恐れず混沌に浸って、しかもそこから毎日帰ってくるんだ。

進化と来歴の元で形成された局所最適化をぶっ壊すためには、べつの進化と来歴を持ってきて繋げることが必須だ。だからこそ繋げることに意味があるのだし、正論と原理的物言いで全体的最適化を目指しても状況を動かすのには足りない。

いや、正確でないな。「正論と原理的物言いで全体的最適化を目指す」ってのもひとつの個人的局所的方策なんだよな。そうなるとこれはコンテキストのpoliticsとして捉えることができる。それは戦って勝ち取るものかもしれないし、話し合ってお互いのコンテキストを共有することかもしれない。コンテキストの共有、これが理念の共有が指しているものなんだろう。

なんてことはどうでもいいのであって、今日もぼくは局所的な事業に従事したいと思う。「だけども、問題は、今日の雨、傘がない」ってのは当時、そこをひっくりかえすような挑戦的な物言いだったんだ。

ぼくを取り囲む、心配事のスレッド。切れ目のない、ガントチャート。片付かないメールの束、チェックマークの付かないToDoリスト。ベランダに毛布を干す。サッシを拭いて、レールのゴミを取り除く。窓ガラスに付いた水拭きの跡をから拭きして透明なガラスにする。


お勧めエントリ


月別過去ログ