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■ 宣言的記憶と症例H.M.

残るはこのへん(まだやってんのか!)。
Scoville WB, Milner B (1957) Loss of recent memory after bilateral hippocampal lesions. J Neurol Neurosurg Psychiatr 20:11-21
でのH.M.さんの症例報告の記述は1ページ足らずなのでまとめてしまいましょう(Corkin '97やCorkin '02の情報も多少足してあります)。Scoville and Milner '57では両側性の海馬摘出手術の結果として9人の症例を報告していて、そのうち3人(を含む)が重篤な記憶障害、5人が中程度の記憶障害、1人が記憶障害なし、としています。このような深刻な記憶障害が起こることが明らかになってそれ以降側性の海馬海馬摘出というような手術は行われなくなります。
H.M.氏は1926or27年生まれで10歳のときからてんかんの小発作を、16歳のときから大発作を起こすようになります。向てんかん薬を多用してもこの発作の頻度は上昇し、発作の程度も大きくなってゆき、働くこともできなくなってしまいました。
彼のてんかんの原因は不明だけれども、9歳のときに自転車と衝突して5分ほど気を失ったことがあるそうです。脳は計測をしてもてんかんの焦点となるようなものは見つかりませんでした。6-8Hzのslow activityがあり、診断中の発作ではspike-andn-wae dischargeが2-3Hzで見られました。
そこで1953年9月の27歳のときにScovilleが前後方向8cmにわたっての海馬摘出の手術を行いました。この手術のために海馬だけでなく扁桃体や嗅内皮質の一部も損傷されました。実際のlesion部位はJNS '97 "H. M.'s Medial Temporal Lobe Lesion: Findings from Magnetic Resonance Imaging."にあるようにもっと小さく、摘出された海馬は前後5cmで、後ろ側2cmは残されており、perirhinal cortex(のventral側、collateral sulcusのmedial bank)とparahippocampal cortexは残されていることが明らかになっています。
手術後患者は数日は眠そうにしていましたが予後に異常はありませんでした、ただ一つ、重篤な記憶障害を除いては。また、てんかんの発作は顕著に軽減され、75歳になった2002年には一年に2回くらい大発作が起こるくらいとなっています(ゼロにはならないらしい)。
記憶障害は手術後すぐから明白で、1955年の検査の時にH.M.さんは今が1953年の3月であり、自分は27歳であると思っていました。医師との会話では彼は頻繁に子供時代の出来事に立ち返り、自分が手術を受けたことにまったく気づいていない様子でした。
術後のIQは112で、術前の104よりも上がっていました(繰り返しの効果で上がるものですが)。Wechsler Memory Scaleでのstoryのimmediate recallは平均をずっと下回り、対連合記憶課題では0点で、繰り返しの練習によっての成績は向上しないばかりかその課題を行ったこと自体を忘れていました。
よってH.M.さんは手術以降の記憶をまったく保持していない前向性健忘であるだけでなく、手術以前の記憶も部分的に障害されている逆向性健忘を引き起こしていました(古い記憶については保持されているため、「部分的」です)。Scoville and Milnerの記載はこのくらい。
1968年のMilner et alを元にした記載が二木先生の「脳と記憶―その心理学と生理学」にあってそれによって補足:前向性健忘に関しては、30分前に自分が言ったこと、したことをまったく憶えていない。毎日顔を合わせている看護婦や医師の顔を覚えていない(たしか毎日は自己紹介から始まるという記述があったはずだけれどどこだったか)。逆向性健忘に関しては、子供時代の記憶は失われていなくて、10代後半から20代前半の出来事はよく憶えていますが、術前3年間(24-27歳)の記憶に関しては部分的に失われていました(Sager et al '85ではH.M.さんの逆向性健忘は術前11年までにわたると結論づけています)。
H.M.さんは何ができて何ができないか、Corkin '02(Nature Review Neuroscience '02 "What's new with the amnesic patient H.M.?")を元に。

  • スタイラスペンで星型の中をトレースするような感覚運動技能を修得することができる。'65
  • 鏡反転文字を読む能力が向上する(Squireが患者N.A.さんで調べたのと同様のもの)。Corkinはそれをperceptual learningと呼んでいる。'86
  • 複雑図形の再認記憶試験では呈示時間を20sec、遅延時間を10min,24h,72h,1wk,6moとすると、対照群で提示時間1secの場合の成績と変わらなかった。つまり再認記憶課題は解くことができて、familiarity judgementを使うことができる(そこでperirhinalが残っているという事実が効いてくる)。H.M.さん自身はそういったfamiliarityがあることは否定しているようだけれども。'87
  • 術後のあらたなsemantic knowledge(knowledge of the meaning, lexical status, perception, and pronunciation of words and famous names)は獲得できません。'88
  • しかし、H.M.さんは術後に引っ越して住んでいた家の間取りを書くことができます。つまり、H.M.さんの場合でもエピソード記憶は前向性健忘で失われているにもかかわらず、家の間取りというsemantic knowledgeを術後に新たに獲得することができたというわけです。 '02
  • word stem completionは1965年以降に使われるようになった新語ではまったくpriming effectがない。1953年以前の単語ではeffectがある。よってconceptual(semantic)なプロセスは術後に機能していない。一方で単語を短時間(<100ms)呈示して何だったか答えるような課題では新語でも旧語でもpriming effectがある。こちらはperceptual representation(pre-semantic)のレベルでの効果で、明白に宣言的記憶の範疇外。(Neuropsychologia '98 "Impaired word-stem completion priming but intact perceptual identification priming with novel words: evidence from the amnesic patient H.M.")
ところでそうなると再認記憶課題でのfamiliarityというのはどちらに入るんだろうか。Familiarity=knowは意識を伴うのか(autonoeticに対してnoetic consciousness)、familiarity judgmentはsemantic knowledgeなのか、宣言的記憶ではなくて手続き的記憶のprimingの範疇に入れるべきか、だんだん話が拡散しつつも重要な方向が見えてきたかも。もしfamiliarity judgmentをprimingに入れてしまうのであればDMSのような再認記憶課題のrecollection以外のところは宣言的記憶ですらなくなってしまう?
いや、混乱していた。再認記憶課題でrememberと思うのがepisodic memoryの要素で、familiarityを感じて報告するのがfamiliarityによるsemantic memoryの要素で、そのどちらの意識もないのでguessで解いている部分でchance levelよりも上になっているところがprimingによるeffectでこれは手続き的記憶の範疇に入る、これでいいか。Squireの「記憶と脳」では健忘患者のpriming effectはrecognition memory testでの既知、未知の判断の成績とは関係なく生じる(p.160)と書いてあるので、もしpureなpriming成分を見るとしたら上記のことが当てはまるはずだ。どっかに書いてあるだろうなあ。
余談だけれど、Postle and Corkin '98で使った1965年以降に使われるようになった単語のリストからいくつか抜き出すとこんな感じ:
AEROBICS / AFRO / BIKINI / CHICANO / CYBORG / FRACTAL / GIMMICK / GONZO / GRANOLA / HACKER / HYPE / MACHO / NERD / PAPARAZZI / SUSHI / TERIYAKI / YUPPIE
「スシ」と「テリヤキ」が入ってるんだ。どうしても外来語が多くなってしまうのは致し方ない。対照群の1953年以前から使われていた言葉の選択でなんとかするしかないでしょう。


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