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■ 三段階のモデルの議論

ブログに書いたネタの続き。Neurobiological theoryについて。
2004年の生理研COEシンポジウムの時に川人先生と小田先生と一緒にお酒を飲む機会があって、川人先生にサッカードの計算論的モデルというものはありますか? と聞かれたことがあります。
(注:設楽さん、五味さん、小林さんの仕事)
FindlayのモデルのようないわゆるNeurobiological modelはあるけど、Marrがいうような計算論的モデルはない、という趣旨のことをもっとしどろもどろになりながら答えた憶えがあります。それ以来のその質問は私の中で宿題として残っていました。
たとえば、Dola Angelakiがsaccadeのfeedforward modelとfeedback modelの議論をしていましたが、これはかなり計算論的モデルに近いところの議論です。
また、SparksとWurtzの間で上丘codeしているのはsaccadeのdisplacement か、retinal errorか、という論争がありましたが、これもサッカードをする際にどのようなアルゴリズムの実装で行っているかという議論と考えることができるでしょう。
しかし、reachingの議論でいうところの、end pointのvarianceの最小化とか、軌道のなめらかさを最大化するとか、そういう意味での計算論的な価値関数みたいな議論は見ない気がします。 varianceの最小化とかはいかにもやってそうですけど。
たぶん、サッカード単体での最適化を考えるのはあまりエコロジカルに意義のある問題が出てこないので、たとえばウォーリーを探せ課題みたいな条件で、いかに探索を効率よくやるか、みたいな問題設定をした上で計算論的な価値関数を見つけるということをやった方がいいんじゃないかと思います。
つまり、overt-covert両方のattentionまで併せたくらいの大きさの問題を考える方がよいような。
「複数のアクションや他者との協調を考えた問題」みたいなこともブログに書きましたが、けっきょくMarr の図式はある単体の問題ごとに作られる図式だから、どうやってより複雑な問題に当てはめるかということ自体がひとつのチャレンジになるのではないかと思います。
こうやって書くと、三段階のモデルの議論は (まとまらないのでこのままアップ。20120122)



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