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■ さうして、このごろ 20130228

中の橋珠算教室の先生をやっていた老夫婦の二人のことを急に思い出した。怒ると「バカスケ!」って言うの。あと、昔の人だから、トイレのことを「ご不浄」て呼ぶ。生徒の子どもたちはみんな意味が分からないから「牧場? へんなの」とか言ってた。そういう記憶が走馬燈のように俺の脳髄を駆け巡った。

走馬燈のように、フラッシュバックのように、電撃的に、俺の脳髄を駆け巡り、嵐を引き起こし、そしてまた遠くへと去ってゆくのを、私は失禁し、座り込んで、または這いつくばって、ただただやりすごそうと眺めながら、でも時間は全然経過しないままで、太い縄がほどけるように、ゆっくり弛緩していた。

「雲母を剥がすか 生爪剥がすか」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「薬局坂道 いつもの流れ」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「ハトを生き埋め ボクは深爪」「ローリーポーリー ローリーポーリー」「赤血球の流れに逆らい 遅配誤配要求撤回」「ローリーポーリー ローリーポーリー


延滞していた岡崎図書館の本を返しに行って、空を見てみたらまだ8時なのにオリオン座が西の空にあって、冬ももう後半なんだということに気づかされた。

"closer" (クローザー)だとシューゲっぽいが、"closer" (クローサー)だとR&Bっぽい。異論は受け付ける。


原発ってお湯沸かしてるだけなわけで、ぜんぜん原子力うまく使えてないよね(現状いちばん効率がよいことは知ってる)。なんかもっと、直接電力として利用するとかそういうんでないと「原子の力」を制御してる気がしない。工学的解決は別にして、科学にはもうちょっとがんばってほしいって雑談をした。


たまに東京の実家で車運転すると感覚が全然違うのでびびる。狭い路地で車の近くギリギリを自転車が通り抜けてきたりとか。いっぽうで岡崎では制限時速30km/hのところでみんな50キロギリギリで走ってる。

それが日本的建前の世界であることをチュービンゲンに行って知った。あそこでは市内の30キロの道はガチで制限が30キロで、25キロぐらいで走ってた。でもって、アウトバーンで、制限のないところでは160キロとか出してる。あいつらメリハリありすぎ。

私は安全運転してるけど。車は人間の制御能力を超えた凶器であり、運転者はだれもが不慮の事故で人を殺す可能性というキモいクジを毎日引いている。自転車で車の接触事故の被害者になったことがある。あのときどうして道に飛び出したのか分からない。だからいま意識の研究をしている。(<-後付け)


今日は次男と刈谷の児童館まで行ってきて、卓球をしてきた。前回は11/25で、その前は8/4。twilog見るといつ行ったかが分かって便利。次男はなかなか鋭角で鋭い球を返してくるので勝負が成り立って楽しい。私はテーブルに貼りついて足を動かさないという隠れたハンデ付きで、4勝2敗。

あとで聞いてみたら、パパのフォアサイドに玉を集めておいて、決め球ではバックハンド側の深いところを狙っていたという。なかなか戦術的で素晴らしい。

自分は守備的でスマッシュとかは打たないが、ライジングで鋭角に返すのが基本戦術。自分はペンホルダー型で、次男はシェークハンド型。

前回は次男はバックハンドの練習とかしていたがかえってそれで攻める形を崩してしまったようなので、今回はバックにはもう玉は回さないで、得意なところでラリーを続かせることを目指した。やっぱ小さいうちは弱点を直すのではなくて、得意なところをどんどん伸ばしてゆく方がよい(<-コーチ気取り)


店でものを買うときに、たとえば値段が576円とかだったときにちょうど小銭が無くて1131円出したときに、店員に違ってますけどとか言われるのがものすごく嫌。

「俺はいま目を閉じたいのであり、目を閉じたことによって眠ってしまったとしてもそれはそれでかまわないという覚悟で目を閉じるのであって、俺の行動は常にそういった覚悟によって一歩ずつ進められるのであって、無意識を制御し、あらゆる意味での責任と自由意志とに殉ずるつもりでこのように行動し」


今日の空手の帰り道に、ストーン・ローゼスの"I am the resurrection"をかけてたら、それを聴いた次男がこの太鼓だったらたたけると豪語したので(次男は「太鼓の達人」が大好きなのだ)、いやよく聴くとバスドラがこう鳴ってんだよとか説明していたのだが、後半のギターソロ部分が始まってリズムが変わると、神妙そうに聴いておったことよ。

というわけで、今後の人生の夢は、家族でバンドを組むことです。


「雨だれと塩だれ、どっちが好き?」わたしは答えを急がずに、そっと空を見やった。

帰り道に月を見たら、月の右上の方に明るい星があって、月の右下にもいっそう明るい星があって、なんだか妖しい気持ちになった。

男は「ずっと、ハノイの塔を作ってたんですねえ」 とさげすむように言った後、「世界の倒し方、知らないでしょ?オレらはもう知ってますよ」と言った。私は尊敬のまなざしで相手を見やった。

コストコ、コストコ (<-口でドラム演奏中)

ジョギングしているときに道に変なデコボコがあって、すっころんだ。無様にカエルのように、しかしiPhoneをかばうように、哀れな老人のように。

「俺のことはレジー・シャックマンって呼んでもらってかまわない」「それにいったいなんの意味が」ってところまで書いて、「さくらの唄」のパクリじゃんってことに気付いた。

俺もポストロックがどうのとか言いつつ、けっきょくはサイケデリックロックとシューゲイザーで時が止まってしまっているわけだが、せいぜい「これが大人の音楽」とか「良質な音楽が消えてしまった」とか自分を正当化するような無様なことは言うまいと堅く心に誓った。相対性の檻に居続ける覚悟が云々。

Milky Wayをドイツ語にしたらMelkweg (アムスの有名なライブハウス)になるんだろうと思って答え合わせのつもりでwikipedia見たら、Milchstrasseって書いてあった。なんか嫌。


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