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■ ASSC16@Brighton の準備しつつ音楽ネタ。

ASSC16の宿探しながら、「リーリ、ウォタルー、ピカディリー、ブルー」とか口ずさむ。(“Lily Waterloo, Piccadilly blue” by Caravan) もしくはWaterloo Sunsetとか。XTCのタワーズオブロンドンとか。

ドノバンは地名ネタたくさんある。”Hampstead Incident”とか”Sunny South Kensington”とか。”Museum”なんか「(ロンドン)自然史博物館のクジラの下で会いましょう」って歌詞だったり。てか「メローイエロー」がロンドン色を出しているのだな。

”Museum”の歌詞でshe looks cool in アストラカン って言ってるよな、と思って確認したら、合ってた。「あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき」のアストラカンだ。


こんどのASSC16@Brightonではぜひロンドンにも立ち寄ってWaterloo Sunsetを見てきたい。テムズ川を西に見るヒッキー。ちなみにWaterloo SunsetはもともとはLiverpool Sunsetだったらしい。(wikipedia)

この歌で出てくる「テリーとジュリー」は毎週金曜日にウォータルー駅で落ち合い、通勤客とは逆方向に(西へ)橋を渡り、彼らが安全で落ち着く場所(ソーホーとかの繁華街?)へと向かう。でも主人公は窓からウォータルーの夕日を見ていれば幸せなんだ、って歌詞なんだけど、「テリーとジュリー」は主人公の知り合いではないだろう。群像劇的に対比しているのかと思ったけど、あくまでも窓から外をのぞきながら語っている主人公からの視点だ。

Songmeaningかなんかで見たけど、だから解釈としては、主人公は金曜日に落ち合って遊びに行くカップルを「毎週」窓から眺めて、彼らに「テリーとジュリー」というあだ名を付けてその行方を目で追っていたのではないだろうか、というわけだ。ストーカーライクに聞こえるかもしれないけど、そうすれば「友達なんか要らない」「外を出歩きたくない」「夕日を見ていれば最高」というのをぜんぶ言葉通りに取る必要がないわけだ。

すくなくとも禅的境地でものを言ってるわけではないことは、こんなこと考えなくても明白だし。


追記。行ってきた。写真撮ってきた。でも、日没9時なのでそのまえに帰った。時差ボケで眠い。東岸はきれいなビルばかりで、ヒッキーが見下ろせる場所など無いのだった。だから、週末楽しそうにしている群衆の中でボッチで撮影した。ちょっとシンクロした。

IMG_1907s.png

再開発された浅草を思い起こさせた。隅田川を渡る東武電車が、チャリング・クロス駅に向かう電車で、それをウォータルー橋から見る。アサヒビールのUNKOビルディングの近くの雑居ビルから、浅草ロックの映画館へ向かうカップルをぼんやり見やる、そんなかんじ。


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