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1960年代にサイケデリック化したアルバムのリリース時期を表にしてみた

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前回の続き。いわゆるアシッド・テストのシーンは1966年のうちにほぼ終わってるのだった。それに関連して「サイケデリック・ミュージック成立における1966年から1967年」についても書いた。

そのときの結論は、「1966年の段階ではどのバンドもサイケデリック・ムーブメントのシーンを長いギターソロとジャムという形でしか表現することができなかった。録音機器の性能の向上によって多重録音を元にした複雑な曲構造やサウンドコラージュを行うことが可能になったのが、1967年の作品群だった」というものだった。

今回は当時のサイケデリック化したアルバムのリリース時期を表にしてみた。


上記の記事から差分としては、ビートルズについては驚きがないが、バーズとドノバンが異様に早い。シーンに近かったということがよく分かる。


ビートルズのメンバーがはじめてちゃんと(*)LSDを使った日については記録が残っていて、1965年8月24日にLAでバーズとピーター・フォンダといっしょに体験している。

これが"She Said She Said"でジョン・レノンがピーター・フォンダに「俺は死というものがどういう感じなのかを知っている」と繰り返し言われてうんざりしたという有名な逸話。

(* 歯科医にこっそり入れられた逸話は1965年春。)


バーズは当時LAのローレル・キャニオンにいたので、まさにアシッド・テストのシーンの眼の前にいたのだと思う。

スコットランド人であるドノバンがアルバム"Sunshine Superman"を録音するためにLAハリウッドにあるCBS Sonyの録音スタジオを使ったのが1965年12月から1966年5月の期間とされているので、ちょうどまさに(サンフランシスコで)トリップ・フェスティバルのあった時期に遭遇しているらしい。ただし、シングル"Sunshine Superman"を録音したのはロンドンで1965年12月ともあるので、ちょっと計算が合わないのだが。

アルバム"Sunshine Superman"に入っている曲にはキャス・エリオットをモデルにしたという"fat angel"がある。キャス・エリオットはローレル・キャニオンのパーティーシーンの中心人物だった。(ソース: 映画「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック)

あともう一曲、"The Trip"もLAのSunset Stripにあるライブハウスについての曲。でもあの有名なサンセット・ストリップ暴動*は1966年11月の話なので、まだそういう意味で社会問題化する前だったことがわかる。

あとこちらのサイトにThe Tripでの1965-1966年のライブ情報がある。すげえ。1966年3月24日~31日、4月1日~2日:ドノヴァン with ザ・ジャグド・エッジとなっていて、この次の週は1966年4月4日~10日:ザ・バーズ だ。

というわけで、ドノバンもバーズもLAのシーンで繋がっていたと思われる。

(* サンセット・ストリップのライブハウスに若者が集まりすぎて、自治体が夜間の外出禁止令が出したために暴動。でもってバッファロー・スプリングフィールドの"For what it's worth"に記録されることになった。)


というわけで、サイケデリック・ロックについてはLAの動きのほうがサイケな楽曲を作るという意味では早かった。いっぽうで、サンフランシスコの方は一段遅かった。以前書いたように、グレートフルデッドはライブで長時間のジャムをやるような時期("Viola Lee Blues")からスタジオを駆使してサイケデリックな音を作る("Born Cross-Eyed"とか)のに1967年までずれ込んだ(1967年9月以降録音)。

ジェファソン・エアプレインも"Surrealistic Pillow"(1966年10-11月録音)は自分はサイケだと思ってない。あれは「サンフランシスコ・サウンド」というやつで、フォークとブリティッシュ・インヴェイジョンの反映だと思う。After Bathing at Baxter's(1967年6-10月録音)とそれに先立つMonterey Pop Festival(1967年6月)で"The Ballad of You & Me & Pooneil"を演ったところでサイケデリック化した、という認識。

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