認知神経リハビリテーション学会で自由エネルギー原理入門の講演をしました(スライドあり)
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認知神経リハビリテーション学会で講演をしてきました。
じつは認知神経リハビリテーション学会学術集会で特別講演をするのは5年ぶり2回目。前回は盲視と半側空間無視の話をしました。そのときの懇親会で宮本省三先生(会長)に「なんか一曲」と言われてS&Gの「明日に架ける橋」を歌ったエピソードがこちら:「会長からのメッセージNo.89 『ハプニング』」
今回は第23回認知神経リハビリテーション学会学術集会で特別講演「能動的推論と運動制御」を行いました。今までの自由エネルギー原理入門の話を極限まで噛み砕いたものを新たに作成(ベイズの定理の公式すら外した)。さらに新ネタで、これまで避けてきた運動制御に関する記載を追加しました。とくに重要なのは、最適制御理論との比較を追加したこと。
こちらがスライド:
認知神経リハビリテーション学会2023公開スライド
当日使ったものから、著作権を考慮すべき部分について削除または差し替えを行っております。ダウンロード可能。
こちらが要旨:
われわれの知覚と行為は密接につながっている。この事態についてヴァレラは「身体化された心」で「知覚とは、知覚的に導かれた行為のことである」と再帰的に表現した。このような知覚-行為サイクルの更新則を提案したのがフリストンの自由エネルギー原理だ。自由エネルギー原理において行為とは環境をよりよく知る認知の過程の一部であり、この過程を説明する計算論的モデルのことを能動的推論と呼ぶ。能動的推論において学習、発達、損傷からの機能回復はどれも(環境と行為と感覚受容の関係を表現した)生成モデルの変容として統一的に扱うことができる。このようにして能動的推論は、ペルフェッティの「運動とは認知である」「回復とは学習である」を実現している。
また能動的推論は、運動制御について従来の理論と大きく異なる見方をする。従来の理論では、大脳が出す運動指令によって効果器(筋肉)が駆動され、運動指令の遠心性コピーと感覚器からのフィードバックによって正確な運動制御が行われる。いっぽう能動的推論では、大脳が出す信号は行為の結果の感覚入力の予測である。たとえば到達運動においては、手を伸ばした状態での筋紡錘の活動を予測する。この予測と、筋紡錘からの感覚入力との誤差が脊髄で計算され、それがゼロになるまで運動が行われる。
能動的推論による説明はペルフェッティの言う「運動器とは情報器官である」そして行為における運動イメージの重視とよく合致している。 能動的推論はまだ新しい考えであり、実験的検証が充分ではない。しかし、第4世代のリハビリテーション理論である認知神経リハビリテーションにおいて、能動的推論は重要な理論的基盤となる可能性がある。本講演では以上のことについて、なるべく数式を使わずに平易に説明することを目指す。
さて、感想のまえに背景説明をしておくと、認知神経リハビリテーション学会というのは、第4世代リハビリテーション理論として「認知運動療法」を提唱したカルロ・ペルフェッティ(1940-2020)の考えを国内に導入した、高知医療学院の宮本省三先生が会長となって運営されている学会。
認知運動療法については以下の本がわかりやすい。
- 脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦 (講談社現代新書) 宮本省三
- 認知神経リハビリテーション入門 カルロ・ペルフェッティ
認知運動療法とはなにか。私の理解によれば、それはペルフェッティの言葉で簡潔に2文で表現できる:「運動とは認知である」「回復とは学習である」
つまり、身体性を重視したうえで、知覚と運動とを分離せずに、両者をひとつながりの過程として捉えるエナクティヴィズムの考えに基づいて(注)、リハビリテーションについて、損傷によって失われた機能を回復するというよりは、新たな身体と環境の関係を構築するという側面を重視する。
(注: じっさい、ペルフェッティはヴァレラとマトゥラーナに言及する)
そういうわけで、この学会は実践的な側面が強くて、発表者の多くは病院勤務のセラピストの方で占められている。(じつはこの学会とは別に、日本リハビリテーション医学会、日本神経理学療法学会、日本ニューロリハビリテーション学会などの学会がある。このへん、医師とセラピストの関係とかいろいろややこしそうなのだが、突っ込んだことは聞かなかった。)
そういう背景があるのを踏まえて、今回のスライドを準備するに当たっては、エナクティブな考えとの親和性を強調する方向へ持ってゆくこと、そのためにも数式で迷子にならないようにする、ということで数式をほぼ削った。(ベイズの公式すら書いてない)
それでも、「知覚において世界を知ること」と「行動によって新たな感覚入力を探索すること」どちらともが適応的であるのだ、ということが伝わることを目指した。
そして、自由エネルギー原理について興味があって、自分で調べたことがある聴衆に届けるよりも、今回はじめて自由エネルギー原理という言葉を知った人が、ちょっとこれから学んでみようかと思わせるように難易度の調整をした。
さてそれがうまくいったかどうか。講演の後に感想を届けてくれた人は「はじめてFEPについて聞いたけど、面白いと思った」「難しかったけど重要だということはわかった」など、よい反響はあったので、ちょっとほっとした。
あと講演後に何度かあった質問は「この次はどうすればよいでしょうか」というものだった。わたしの日本語総説ふたつを紹介しておいた(スライドp.24にあり)。
- 吉田 正俊, 田口 茂 (2018) 「自由エネルギー原理と視覚的意識」 日本神経回路学会誌 25(3) 53-70
- 吉田 正俊, 宮園 健吾, 西尾 慶之, 山下 祐一, 鈴木 啓介 (2023) 「自由エネルギー原理,能動的視覚,サリエンス」 人工知能. 38(6) 787-795.
でもそれでは質問に答えてないかと思った。むしろ質問は「どのように臨床に役立てていくことができるのでしょうか」ということだったと思う。そういうわけでわたしが答えたのは、「生成モデルという視点で現象を分解してみる訓練に使うのがよいのではないでしょうか」というものだった。(FEP論文がしばしばやる、トイモデルでのシミュレーションではなくて。)
(これはあとでスライドに追加しようと思うけど、いまは文章で追加だけしておく。) たとえば半側空間無視のテストとして使われる線分抹消課題(のサッケード版)はスライドp.119にあるような生成モデルを想定することができる。
そうすることによって、「患者の視線が右側に偏る」という現象が、じつのところどの過程から起きているのか、それは「右側に視線が傾いていることに気がついてない」のかもしれないし、「左に目を向けても得るものがない」と思ってるのかもしれない(スライドp.119)。
そこを患者自身に言語化してもらう、そしてそのためにうまい質問を投げかける、このような「仮説、実験、検証のサイクル」を回す、これはペルフェッティの認知運動療法における言語の活用のキモでもある。
生成モデルを作るためには、そこで起きている現象を分解し、なにを感覚として感知し、なにを知覚として我々は推定している(信念を持っているか)、そしてそれらがどのような階層関係を持っているか(スライドp.106にこのような階層関係の例がある)、それらを明確にしてゆくことが必要なのだけど、それってまさに認知神経療法が重視している、「仮説、実験、検証のサイクル」を回すことを助けるでしょう、ということ。
これは「自由エネルギー原理」そのものというよりは、「ベイズモデリングを活用しよう」というメッセージなのだけど、実践家にとって役に立つものを逃げずに提示するならば、これ(「問題となっている現象について生成モデルを作る」)になると思う。
ほかにもいろいろ語りたいことはある。たとえば、特別講演のもう一人は造形作家の岡崎乾二郎さんだったのだけど、懇親会で岡崎さんの隣りでたくさん話をすることができたのはすごくよかった。(スライドp.111に引用した文學界インタビューはおすすめ)
あと宮本省三さんといろいろ議論できたのはたいへん有益で、とくにメタ学習を考える際に推測だけでなく、アブダクションが必要であり、そこにはアナロジーが不可欠という考えに至ったのも、今回の成果だった。(鈴木宏昭「類似と思考」の意義が掴めてきたかも。)
そのへんについてはまた別の機会に書きたい。
以下はBlueskyに書いた雑談。
懇親会に行く道で水道橋駅の歩道橋を渡ろうとしたら、芳文社があるのに気づいた。きらら系列の総本山がこんなところにあるとは知らなかった。(竹書房が飯田橋にあるのはポプテピピックで知ったけど。)
次の日は本郷三丁目を探索したら、万定フルーツパーラーが休業状態であることを知った。奥の三叉路のパン屋もなくなって、駐車場になってた。
札幌に帰ってきて、研究室に戻って諸々の片付けを終了させた。そのあとで、深夜までやってるスーパーに向かう。
自転車を漕いで大通り(環状通)に出ると、ほとんど車がない。たまに車が通り過ぎると、静けさが広がる。そのとき、なんだか「帰ってきた」という実感が湧いてきた。
札幌を「自分の帰るところだ」と体が感じていることを知って、これはエモいなだと思った。でもそのエモさに心が震えることができない。
けっきょくスーパーでは半額寿司と半額刺し身をゲット。Twitterにはそちらのことを書いてポストしておいた。