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心理的安全性と定型発達症候群

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「「心理的安全性」はなぜ混乱を招き続けるのか」のブコメで「サバサバ組織」って表現があって、いいなと思った。

それで思ったんだけど、心理的安全性って「定型発達症候群」である人には難しいことなんだと思う。だから誤解は尽きないし、実現は簡単ではない。(ついでに言えば、アサーティブ・コミュニケーションもそうだな。)

ところで、ASDでない人をぜんぶ「定型発達症候群」と呼ぶのはたぶん間違いで、ASDの反対の極により強く「定型発達症候群」をもつ人がいるという分布になってるんだと思う。

(「定型発達症候群」はインターネットスラングであって、医療的な正当性はないけれど、将来真剣に扱われる日が来ると思う。)

「反対の極」とは言ったけど、簡単でないな。 「周囲の人の顔色を気にしすぎる」が社会生活を困難にするのであれば、それはSAD(社交不安障害)であって、「定型発達症候群」ではない。

「定型発達症候群」という言葉がもともと、ASDの社会モデルという考えを際立たせるために使われた表現であることを考えるなら、ASDでない人を「定型発達症候群」と呼ぶという元の表現が間違っているわけではない。でもなんかそれだと、「定型発達症候群」の解像度が上がらないように思う。

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