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「シュウェップス、ChatGPT、Believe me」(さうして、このごろ2023年4月後半)

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「シュウェップス」ってあったなあ。ブラッドオレンジのやつが好きでよく飲んでた。浪人生だった頃だろうか(1987あたり)。たぶんアサヒビールの時代。いまは見たことがない。トニックウォーターは売ってるか。でもそれ以外はなあ。


twitter.com/ChainHokudai/status/1650708811601293313 これのつづき。

テッド・チャンによるNew Yorkersの記事: ChatGPT Is a Blurry JPEG of the Web

LLMでゴミの記事とか画像とかが生まれて真正のデータと混ざったら地獄だよなあとかは以前から考えたことがある。でもこの記事では、Google検索は「可逆圧縮」であり、GPTは「不可逆圧縮である」という分け方をしていて、すごく納得がいった。GPTによる小論文がぱっと見まともに見えるのは、JPEG画像がぱっと見まともに見えるのと同じく、見る側の人間の特性なのだな。

かといってロスレスが問答無用に偉いというわけでもない。そしてそもそもロスレスな「引用」自体がそれ以前から壊れている(ソースのわからないインターネットミームとか)ことを考えると、ロスレスであるためにもっとできることはないかと思う。

あと、要約が不可逆であるとはいえ、人間が要約を組み込みながら新しい文章を作るときになんらか価値を生み出している。ならば不可逆であることとオリジナルであることの関係はもっとややこしいということがわかる。 とかいろいろ考えた。


“I believe you” と “I believe in you”は違うって話。 これは知ってる。"Believe me"の訳は「信じてよ」ではおおげさで、むしろひっくり返して「ウソじゃないよ」がしっくりくる。

このニュアンスを私は歌の歌詞で理解してる。Bob Dylanの“I don't believe you”は(昨晩あったことをなかったことにして、まるで会ったことがないような応答をされて)「ウソついてんじゃねーよ」ってニュアンス。

いっぽうでNeil Youngの"I believe in you"では、女性からの愛(now that you made yourself love me)に応えて、("I love you"ではなくて)「"I believe in you"とは言える」という修辞疑問文になってる。だからこれは、君の気持ちが本当であることは疑ってない、気持ちは受け止める、だがI love you と応えることはできない、というニュアンスなのだと思う。

…そう思うのだけどsongmeaningsとかまともな解釈がない。


「「コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された」件について」ブコメ

昔のブコメだけど、これは元記事が正しいなあ。数字の多い少ないの問題じゃないんだよ。面接って雑談ではないので、「能力が高くないと言えないこと」を提示すべきなんだよ。「面接では「能力が高くないと言えないこと」を言って欲しいだけなんですよ」

この点については、自分で面接官をやるようになって、より実感するようになった。とはいえ「能力が高くないと言えないこと」(それは知識量ではない)を言える人は少ないので、せめて「自分の頭で考えて言葉にできたもの」を引き出したくて、手を変え品を変え質問してる。私自身は毎回ほとんど助け船を出すつもりで質問してる。

ところで、あの悪名高い「2位じゃダメなんでしょうか?」も、質問した当人は助け舟的な質問をしたつもりだったんだと思う。(デファクトスタンダードを取ることのマーケティング的な意味での重要性とか。) 聞き方がまずいと思うけど。


このブログを読んだら、なんか、すごくよかった。

こうやって他人のブログを、記事レベルでなく、時系列追って読んでみるという経験はひさびさだったけど、なんか新鮮に楽しめた。10-20年前はよくやっていたことだったのだけど。

なにが良かったのかちょっと考えてみたけど、友人との交遊録とかそういうのが一切なくて、ただひたすら一人でなにかやっていることを綴りながら、それに満足している感じがすごくよかったのかも。


「最強の鬱マンガ」 自分はこのリスト、一冊も読んだことがない。鬱なシーンがあるものはあらかじめ評判を見て避けていたので、正解だったみたい。タコピーですら、話題になっていたときに察知して回避。カンペキ。

自分はこの種のものに引っ張られやすいと思っているので、かなり自衛を意識している。たとえそれで名作を見逃すことになったとしてもいい。


以前回ってない寿司を食べたのはいつだったっけな? と調べてみたら、2014年のことだった。

いまだから言えることだけど、あれは北海道医療大学にジョブインタビューに行った帰りのことで、それはけっきょく落ちたのだけど、とにかく面接を終えた私はその日晴れがましい気持ちで、雪道を二十四軒駅から歩いて向かったのだった。

あのとき以来回らない寿司には行ったことがない。


ここ行ってみたい。士幌線タウシュベツ川橋梁跡 この旧国鉄士幌線ツアーとかよさそう。

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