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グレゴリー・ベイトソンの「形式、実体、そして差異」をまとめてみた

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北海道大学の人間知・脳・AI 研究教育センター(CHAIN)の教育プログラムを作っていくところでわたしが密かに構想していたのは、グレゴリー・ベイトソンの「精神と自然」にあるような「サイバティックな認識論」を現在の科学の水準のもとで再構成するということだった。

「精神と自然」についてはこのブログの初期にサマリを作ったことがある:グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ これを作成したのが2000年8月のことで、まだ私はPh.D.を取得する前の過酷な実験生活に合間を見て書いたもので、それが巡り巡っていまここに戻ってこようというのだから感慨深い。

でもたとえば、Chap.2の「4.イメージの形成は無意識過程である」なんて見たら、ヘルムホルツ的視覚観じゃん!とか思うけど、フィードバックとフィードフォワードを組み合わせたキャリブレーションの概念とかまだ汲み尽くせない問題がある。また、「生物学に単調な価値はない」「[安定している][変化している]という言葉は記述のうちの一部分のみを表している」まさにどれもこれも今私が伝えておきたいことだなと思う。

そういうわけでベイトソン読み直してみた。ベイトソンのもうひとつの主著「精神の生態学」のラストの方にある講演原稿「形式、実体、そして差異」は、有名なフレーズ「情報とは、違いを作り出す違いのことである」の初出も含まれていて、ベイトソンの様々なアイデアを繋げて一つの話にしてあるという意味でたいへん重要な記事なので、これについてまとめておこうと思う。(なお、講演原稿であるため、個々の事項についての説明はあまりなく、これだけでは説得力があるかわからない部分も多々ある。)


[グレゴリー・ベイトソン「形式、実体、そして差異」まとめ]

(訳注: この原稿は1970年のコージブスキー記念講演というところで話されたもの。コージブスキーといえば「地図mapと領地territoryはべつものである」のフレーズで有名。これはベイトソンが頻繁に言及する。)

[前置き]

[進化における生存の単位]

[精神mindの単位]

[差異とは?]

[プレローマとクレアトゥーラを繋ぐ]

[シナプス加重と閾]

[差異の階層化について]

[精神mindの単位ふたたび]

[生存の単位と精神mindの単位]

[以上のことの意義、帰結]


さいごの省略した部分が充分な分量があって、そこも意義深い。

たとえば、知覚するものと知覚されるものが分断されるような、現在の我々の思考法全体を組み立て直さなければならないのであって、音楽を聞く私と音楽との境界が消え去るような、新しい思考法を身につけること、これが大きな課題だと言っている。

また、「美、芸術」についてのところでは、知性と感情の分離の問題において、芸術家が行っていることはたんなる感情側についてのものではないのだと。芸術が関わるのは、知性と感情の橋渡しの仕事だと。芸術が関わるのは、精神課程のさまざまなレベルの間に結ばれる関係なのだと。

さて、読めば読むほど、話が大きいスケールに広がって、まあそれがベイトソン自身が歩んだ道の追体験であるのだけど、これを批判的に読んだうえで、ダメな部分はちゃんとダメと言ったうえで、もっと地に足をつけた形で再構成してやろう、これが私の野望というわけです。ともあれ今回はここまで。

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