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Fmaj7add9、ハートの形のサングラス(さうして、このごろ2016年9-10月版)

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「「諸般の事情で」ってフレーズは使ったこと無いな。」とか豪語しておいて心配になったので「諸般の事情で pooneil」でググってみたがなにも見つからなかったので大丈夫だったっぽい。(<-人間がちっちぇえ)


好きなギターのコードはFmaj7add9かな(XX3213だから正確にはmaj7の音はオミットされてる)、とかカッコつけてみたりするけれども、じつのところギターを覚えたての頃にアリスの「チャンピオン」でかき鳴らしたEmこそが私の心の一番深いところにあることは認めざるをえない。

車で陽水とかエレカシとか流しながら、ボーカルにどのようにビブラートをかけているか注意しながら聴いていた。こう、どこか気持ちが高ぶったところで意図せず震えが出るような場面に遭遇すると、聴いているこちらも激しく心が震える。

NUVO社のプラスチック製 フルート Student Fluteっての見つけた。14,500円とか安くて俄然物欲が高まった。やってる人に言わせればちゃんと教室に行って教わりましょうということになるだろうけど、遊びたいだけなんだ。

でもって遊びたいだけだったらこっちのほうがよさそう。NUVOのTooT。これなら衝動買いしても後悔しないかんじ。


例のUKギターロックがBGMとして流れる西友に行ったら、 こんどはPrimal Screamのファースト・アルバムのGentle Tuesdayだった。12弦ギターキラキラのあれ。たまげたなあ。

その昔、ジッタリン・ジンの「プレゼント」の替え歌であなたがわたしにくれたものに「七福神の置き物セット」とか「ハートの形のサングラス」とか珍妙なものを入れるのが流行った。(<-ありもしない過去を捏造)


奥田民生の「息子」って父親の眼で息子を見ている歌詞だと思っていたのだけど、それにしては「別嬪さんにきっと惚れられる」とか古風な言い回しが出てくるのに言語化できない違和感を持っていた。それで、もしかして息子だった自分が父親からかけられた言葉だったのではないかということに思い至った。

そうすると、歌詞の最後に"…Farther told me"って付けられる。Aviciiのthe nightsみたいに。もしくは、息子としての視点と、(これから自分がなる)父親としての視点が交錯する歌詞として読めるかもしれないと考えた。考えただけー


車で「サイレン」かけて声のかぎり歌ってたら「存在証明を鳴らせ」のところで感極まってしまった。この曲は小さい頃の長男が好きで車中で何度も聴いた思い出の曲だが、この部分は典型的ロキノンフレーズで心に染み入らなかった。でもやっとわかった。作者は本当に存在証明を鳴らそうとしていたのだ。


「俺には世界が無自性で空である縁起のネットワークとして見えるぜ」と言えたら素晴らしいけど、頭ではわかるけど、そのように実感持って世界を見ることができるようには会得できていないと言わざるをえないのがおおいに不本意だ。

「俺には世界が、意味付与された『知覚』の手前の、純粋な『感覚』の集合に見えるぜ」と言えたらスゴイのかもしれないけれど、それを「世界」と呼んでしまった時点で、意味付与された「知覚」以降の存在に思える。脳から見ると、知覚から世界を構成するような言い方をするけど、たぶんそれは誤謬。

「俺には世界が、解釈されるのを待ちつつも、いまだ意味をなさず俺との関係を取り結ぶに至っていない、意味の可能性のかたまりに見えるぜ」と書いてみたら、あまりに当たり前のことだった。

ではそのようなつながりというのはいったい何なのか、「連合」なのか、「因果」なのか、「情報」なのか、「意味」なのか、「縁起」なのか、ともあれそういうつながりと、未だ関係を結んでいない潜在的つながりとで世界が成り立っている。


Tony ViscontiはT RexのプロデューサーをTyrannosaurus Rexのファーストからやっていたわけだけど、バッキングヴォーカルもやっているとは知らなかった。テレグラム・サムの項目を見るかぎりイントロの「ウー」とかはTony Viscontiか。


ボブ・ディランは二分冊の全詩集 https://www.amazon.co.jp/dp/4794951302 を買ってコードを書き込んで、毎日のようにそれ見ながらギター弾いて歌っていたことがあるくらいには好きだった。とはいえ60年代のロック時代のディランしか追えてないくらいにはヌルいファンであるのだけど。

ディランを通してT.S.エリオットとか、アンドレ・ブルトンのシューレルアリズム詩(溶ける魚)とかをわかりもしないくせに読んだりするくらいには世界を広げてもらった。今となってはほとんど聴き返すこともないのだが(ブロンド・オン・ブロンドを通しで聞いたのはいったい何年前のことだろう)、中学の卒業文集の自分の欄を「Sad Eyed Lady of the Lowlands」の歌詞で埋めてたりとか、なんだかそういうことを思い出したので、ネットに書き込んで、永遠の記録となることを願う。

ディランがニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキ持ってブーイング受けて退場って逸話があるけど、これが1965年7月25日。そこからハイウェイ61とブロンド・オン・ブロンド出して(以降隠遁することになる)バイク事故に遭うのが1966年7月29日。たった一年のことなのだな。

ニューポート・フォーク・フェスティバルの逸話は以前散々読んだけど、これはかなり盛った逸話だったようで、真偽についてはウィキペディアに項目があるということを知った。


急な大雨の中を家まで帰ってきた。しかもなんだか生暖かい空気で、まるで夕立のようだった。

ゼネラル・エレクトリックのロゴを見るたびに、持田製薬を想起するんだけど、そもそもどういうロゴだっけと調べてみたら、案外似ていた。持田製薬のロゴ

戦車に嵌ったアライグマの動画を興味深く視聴する。(<-仕事しろ!)

いろんな締切りがある中を水をかき分け抵抗に耐え進む感じ。締切り追い越したかと思ったら、締切りが先に飛んだりして。締切りに翻弄されながら、締切りとともに生きる。(<-生きるな!)

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