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坪内ショウヨウ/三社祭/ネコちゃん警察署捜査本部 (さうして、このごろ2015年8月)

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「おお、おお、おお、俺の『ネコちゃん警察署捜査本部』よ、いったいぜんたい、どこへいっちまったというんだい?」

「まどのそと」までは良いだろうが「つよいあめ」と繋がってはダメだ。まどのそとにはいったいなにがあるのがよいのだろう? ぼんやりプラットフォームに立っていたら、自分の後ろに人が並んだ。わたしは慌てて自販機に向かった。雪が降っていて、私はそのとき何かをやりきったつもりだった。

俺がGを恐れるのは、ほんとうは世の中にはもっと恐れるべきものがあるのだけれども、そういう気持ちを隠蔽して矛先をGに向けているためだ、という可能性はないのかと無理やり考えてみたが、さっぱりそんなあては見つからないのであった。これが認知的閉包というやつか。(<-言葉遊び)

ザッカーバーグの”Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity”が今でも気になるのだけど、そもそもintegrityってわからないなあ。https://en.wikipedia.org/wiki/Integrity

「坪内ショウヨウ」っていう芸名を考えついた。「カセタイシュウ」くらいイケてると思う。

何年前の話だったか忘れたけど、次男と街歩いてたら本屋だかレコード屋だかの店頭に萌え絵のポスターがあって、それを見た次男が「なにこれ!鼻がない!」ってめちゃくちゃウケてたのを思い出した。それだけ。

トバ・カタストロフ理論 で「現世人類が総人口が1万人にまで激減した」って話がなんか好き。言語化しにくいけど、なんだか痛快なかんじ。


「高菜、食べてしまったんですか」ネタを振りたくなって、どんだけ元気一杯よ俺、とか思った。行ったことないのに。これとstudygiftだけは未だに気になるのだけど、なんでこれらに私はそんなに惹かれるのだろうか。多分私の欲望とか嫉妬とか弱点とか個性とかを反映しているのだろう。

あと、「スカスカおせち」も未だに気になる。あれは大震災の前の正月、思えばのんきな話だった。

「サークル・クラッシャー」とか「オタサーの姫」とか「童貞を殺す服」とかそういうフレーズが世をにぎわすたびに、俺の人生にはもはや全く関係のないことのはずなのに、なぜか25歳の俺に戻って、胸を痛めてしまう。

「サンテ・ド・ウ」に「デッセ・ジェニー」的な吉本センスを嗅ぎとったので調べてみたら、はたして参天製薬は大阪の会社だった。(<-「はたして」を使ってみたかっただけ)

いままで「リッチモンド」Richmondだと思っていたものが「リッジモント」Ridgemontであることに気がついて、福本漫画のように現実空間がグニャアとなるような衝撃を受けた。受けてない。

遊佐未森の曲の歌詞で「樹々に隠れた大きな家に一人で彼は住んでる何やら妙な研究してるそういう噂」ってのが好き。俺もそういうところで何やら妙な研究したい。


RDレインの「引き裂かれた自己」を大学生の頃に読んで大きく影響を受けたことを思い出した。どうしていままで忘れていたのだろう? このブログ記事で「存在の裂け目」という言葉を使ったときにこれがレイン本由来だったことに気がつなかかった。

レインの本のメッセージのひとつとして、統合失調症患者の内面に整合的な物語があるんだということを受け取ったし、いま私がご執心の(<-自分で言う?)過剰サリエンス説もそれのバイオロジカルなバージョンと言えなくもない。「反精神医学」とかそういう政治的なものには興味が無い。

そのへんの家族療法的なものと認知行動療法の関係とか知りたい。あと最近話題になっている「オープンダイアローグ」ってのもそのへんのはず。そういうことを知りたい。


6月28日@pooneil いつのことだったか、こういう梅雨の蒸し蒸しした時期に、浅草橋を通る用事があって、そういえばおもちゃ問屋のせがれがこの辺だったっけかとか思って通りかかってみたら、偶然、軒先で甚兵衛姿でビール飲んでた。

それで、飲む?みたいな展開になって、アサヒビール(スーパードライでもなければ黒生でもなく)と枝豆をご相伴に預かって、ご両親にお礼言って、気持よく帰ったおぼえがある。あのときのビールはうまかった。たぶん。

三社祭の時期かなと思ったけどあれは5月だから多分違う。軒先って…いいよね。(<-イケメンボイスで)

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