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駒場講義2017の準備のつづき:講義用webサイト開設しました

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昨年に引き続き、講義用のwebサイトを作成しました。 「駒場学部講義2017 「意識の神経科学:盲視・統合失調症・自由エネルギー原理」講義資料」

まだ工事中ではありますが、講義当日までにすべてをfinalizeする予定です。

いまは「脳がわかれば心がわかるか」の「回帰する擬似問題」がうまく説明できるか、試行錯誤しているところ。たとえばp.154-155

なるほど大森の考えによって、ジレンマが生じるカラクリ(カテゴリー・ミステイク)とそれを解消する方法(「重ね描き」)を知ることができました。しかし、なにか腑に落ちません。理解はできても納得ができない、そんな感じが残ります…ライルや大森の考察は多くのものをもたらしましたが、その議論は権利問題にとどまっているため、真に有効な処方箋にはなりえていません。それは心脳問題という「ある種の哲学的な病気」にたいする有効な解毒剤ではありますが、すでに表面にあらわれてしまった症状に対して行う「対症療法」的な処置にとどまります。

ここの「ある種の哲学的な病気」というところは納得いくかんじもあり、いかないかんじもあり。これはライルの「ある種の知的な気分」(p.75)の言い換えであるらしい。わたしが毎度講義で使うネタで「意識を語る」の中にあるネド・ブロックの話があるのだけど、ネド・ブロックが講義でinverted spectrumの話をすると、学生の2/3はよく理解するし、それ自分で考えたことあるよ!みたいな反応があるらしいのだが、残りの1/3は「いったい何を言ってるのかわからない」という反応らしい。私は前者なので後者の人がぜんぜん理解できないんだけど、ライル(デネットの師匠)の言い方によれば「ある種の哲学的な病気」に罹らずに済んでいる、ということなのかも。

茂木さんの「脳とクオリア」で出てくる話で、(20代で)電車に乗っているときに突然クオリアの問題に気が付き騒然とするエピソードがある。茂木さんにとってはそれって後者から前者へとジャンプした瞬間の衝撃だったのだろう。私としてはずっと昔の子供の頃に前者になったのでそのジャンプの経験というものが共有できないのだけど。

「どうして」脳と心が関連しているかを問うのではなくて、脳と心との関連がどのような法則的関係にあるかという科学的記述があって、それで99.999%での予測ができるのなら、「どうして」脳と心が関連しているかという問いは解消(<->解決)するのだろうとも思う。

なんだか嵌りそうだから、スライドから除くかも。講義のラストでの問題提起ならまだしも、初っ端でこれはまずい。

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