トップページへ

疾患と疾患モデル

pooneilの脳科学論文コメント » 雑記 » 疾患と疾患モデル

表面的な理解/解釈のみで、ある障害や疾患のことを安易に引き合いに出すのは、単に誤解があるという点だけでなく、その障害や疾患が意味する本質的なところに近接できていないという点で、危険があるな、、、というのが、このところ読んでいる幾つかの本に共通する感想(自戒も込めて)。

— Noritaka Kawashima (@KWS456123) 2014, 1月 5

.@KWS456123 「表面的な理解/解釈のみで…危険がある」という批判は患者を実際に見ている方でさえ自問自答すべき問題なのだと理解しました。しかし、この批判を転じて、患者を見ている方が動物モデルをやっている人に向けてしまうと、誰にでも言えてしまう、不毛な批判になってしまう。

じゃあどうすればいいかといったら、ひとつの方法は患者を見ている人と一緒に動物モデルを研究するということになるのだけれども、この批判は際限なく、恣意的に運用することも可能だから(なにしろ患者を見ている人でさえ問題にしなければならないのだから)、動物モデルへの批判自体はそのモデルが実際に役に立てば消えるだろうけど(遺伝的疾患モデルなど)、精神疾患モデルの場合にはそれがうまくいってないことが元凶なのだろう。

…以上、河島さんのツイートにインスパイアされて、最近考えていたことにつなげて書いてみました。

@pooneil 主観的観察のバイアスはあらゆるレベルで存在するからどうしようもないですよね。主観的観察の観察対象ソースを共有することである程度避けられるかもしれないっていうのは神経データでも行動データでも同じですね。

— Naotaka Fujii (@NaotakaFujii) 2014, 1月 5

.@NaotakaFujii なるほど、いまの話はかなり一般化が可能な論点であるようですね:「主観的観察の観察対象ソースを共有することである程度避けられるかもしれない」

そうしてみると、神経生理学者が自分でデータを取っていて、データ科学者と一緒に仕事するときにもおんなじ構造が出ていることに気づく。神経生理学データはそのままだといろんな目に見えない情報が欠けている(記録者が未熟だからこのデータの信頼性は低いとか)。それらをどうやってメタデータとしてデータに足してゆくかというのがひとつの課題なのだけれども、そこで神経生理学者としての私は「じっさいにデータを取るところを見ていないと正しいデータ解析はできない」という気持ちは強いし、自分の経験として、「両方をつないでハブとなる人間が居ないとうまくいかない」という信念もある。

私の視点はどちらかというとハブの人が一人で両方見渡すことが大事という方向性なのだけれども、いま藤井さんが書いていることは、互いに両方見渡すことができる技術を作れないか、ということなんだろうと思う。

「同じイベントを全員が同じ視点から見て共有し議論する」これが視点交換とかにつながり、ジェンダーバイアス、福島、いろんなところにつながることはわかる。それこそが「なめらかな社会の実現」なんではないだろうか。

さっきの話をまとめると、[精神科医 - 精神疾患の動物モデルの研究者] という関係と [神経生理学者 - データ科学者] という関係の相似に無自覚だったし、自分はそのどちら側にも立ちうるのだな、というのこと。だから、データ科学者に向けてデータわかってないじゃん、って批判は誰にでも言えてしまう不毛な批判であって、しかも立場に依拠しているため際限なく言うことが可能。

だからその批判を使う際には「どこまでわかっていればデータを理解したことになるか」を正しく限定する必要があるし、それはデータ科学者に欠けていることではなくて、データを提供する側が行動しないと解決しない。

@pooneil 実際、科学読み物系の書籍の中には安易に障害や疾患を引き合いに出しているものが多いと思うんですよね。引用することが間違いという訳ではなく、読者はそれを通して障害や疾患に接することができるという意味では、むしろ書き手の企図を率直に受け取ることでいいんだと思います。

— Noritaka Kawashima (@KWS456123) 2014, 1月 5

@pooneil だた、単なる機能の欠損的な部分ではなく、普遍化可能なもっと重要なメッセージがあると思うのにそこが抜け落ちて表面的なところだけの引用に留まっている、みたいなくだりを目にして、「うー、ここらへんは自分なりのアプローチで穴を埋められればな」という思いを持つんです。

— Noritaka Kawashima (@KWS456123) 2014, 1月 5

@pooneil そこが「自戒を込めて」という意味。まさに、自分自身に対する問いなわけです。

— Noritaka Kawashima (@KWS456123) January 5, 2014

.@KWS456123 そうですね、自分ならどうするかな?って感じで捉えていくのが生産的ですよね。

« 前の記事へ

次の記事へ »

トップページへ