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■ FEPからシュレディンガー経由でMEPへ?

神谷さんのツイートでシュレディンガーが予測符号化的なことを言っているのを知った。

“Erwin Schrödinger’s in “Mind and Matter” proposes a “psychophysical linking hypothesis” that connects the functional tones to meanings and qualities: if an expectation is falsified in perception, you “meet nature” - it is a moment of learning: “it discharges a spark of awareness””(Jan Koenderinkのスライド "World, Environment, Umwelt and Innerworld"のp.55 PDF)

昔翻訳(「精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察」エルヴィン シュレーディンガー 工作舎)は読んだことがあるけど記憶がない。調べてみた。まずこのスライドの作者のJan Koenderinkが書いているものを探すと、Jan Koenderinkのスライド "Awareness (PDF)"で言及してた。

“Consciousness is associated with the learning of the living substance; its knowing how is unconscious.” (p.14-15)

この文章を"Mind and Matter"の原文から探し出す。原文はInternet archiveにある。第1章のp.98だった。 そうとなれば"Mind and Matter"の第1章を読んでみよう。超訳でまとめてみる。

われわれは繰り返しがあるものについて、初めのうちはそれを意識経験として持つけれども、繰り返すうちに興味を失い、意識からも消え去る。例えば、見慣れた研究室までの道がある日行き止まりになっていて回り道をすると、道のことは意識に浮かんでくるけれど、また慣れてしまえば意識の閾値下に落ちる。

発達においても同じことが見られる。われわれは環境と交互作用して、その状況への変化に適応する、この機能に意識は関連している。

Koenderinkはここを引いて、micro-enlightenmentsという表現をしている。この表現はいいな。我々は日々小さな気づきを積み重ねていて、それこそが意識に上ってきているものなのだと。

FEPで考えれば、感覚入力sとその原因xとの間の同時確率=生成モデルp(x,s)の分布自体を学習によって変化させること(<->active inferenceでのサンプルする感覚入力sを変えることとは別)に対応していると言える。

意識の強度としてFの変化量や変化の向きを使う議論がある(乾先生の本やスライドで引用されるPLoS Comp Biol 2013)けれども、それよりは生成モデル自体の変化の大きさとかそれにいかに自己の行動による介入が寄与したかのほうを意識に引き寄せて考えてみたいと思っている。(Practicalには、多くの場合でFと生成モデルは同じような挙動を示すだろうけど。)


KoenderinkのPDF自体は面白そうなのでまた追っておくとして、さらにシュレディンガー方面を追っていくことにする。というのもFristonの論文で「FEPの立場からシュレディンガーの「生命とは何か」という問いに答える」(“Answering Schrödinger’s question: A free-energy formulation”)という論文 Physics of Life Reviews 2018があるからだ。

この論文はTinbergenの4つの問いにつなげる議論とか、FEPの脳のあるシステムだけでなくもっと広い視点で当てはめてみようとするところが面白いのだけれど、じつのところ、タイトルから期待されることが書かれてなくて期待はずれ。つまり、シュレディンガーの負のエントロピー(「生命とは何か」の本文の注でこれは正確には物理的な自由エネルギーのことであることが書かれている)とFEPで扱われる情報理論的自由エネルギーの関係についてどう書いてあるか知りたかったのだけど、そういう話ではなかった。

でもこの論文に対するコメンタリで重要なものを見つけた。Leonid M.Martyushevによる"Living systems do not minimize free energy"。この人のコメントのうち1)が強力で、これを見て、わたしはFEPでの情報理論的(変分)自由エネルギーと熱力学での自由エネルギーのアナロジーは無理筋そうだという結論でほぼ説得された。(まあ、津田一郎先生や甘利俊一先生の前でFEPについて話したときの反応はもとからそんな感じだったけど。) たった2ページなんでまとめるまでもないのだけどこんなかんじ(超訳で):

著者らが「自由エネルギーの最小化」という定式化にこだわるのはどうやら、著者らのアプローチが統計熱力学に基礎をおいており、それゆえに普遍性があるといいたいからのようだ。しかしこのことこそが(とくに)物理学者にとっては誤解を生む点であり、物理学者がFEPのことを否定するもしくは無視する結果となっている。著者らが意図した物理とのアナロジーには、根本的に不整合な点が二つある。

  1. 物理においては(ヘルムホルツの)自由エネルギー最小化は等温、定積での系が平衡状態に向かうことを指す。いっぽうで著者が考えるような生物システムは根本的に非平衡系であり、平衡状態を追い求めることもしない(定積のシステムでもない)。生物システムにおける平衡状態とは死のことだから、FEPによれば生命の目的とは死であることを意味してしまう。生物システムの過程を取り扱うためには、平衡系での熱力学ではなく、非平衡系での熱力学を用いるべきだ。具体的には(ギブスの)自由エネルギーやエントロピー生成の時間的変化を考えるべきだ。ここでエントロピー生成最大化原理 maximum entropy production principleが役立つかもしれない。
  2. (省略: エントロピーの扱いの問題、第二法則との関連)

この著者自体が「エントロピー生成最大化原理」をやっている人なので割り引いて考えたほうがよいかもしれないけど、たしかに、生物がエントロピー増大の法則に抗して存在し続けることができるのはなぜかという問題についての、シュレディンガーの負のエントロピーからプリゴジンの散逸構造へという流れを考えると、FEPってぜんぜんそこを踏まえてないなと思った。

さっそくエントロピー生成最大化原理について調べてみた。概念自体はE.T. Jaynesとかから始まっているらしいが、いろいろな分野で進められてきて、知見が散らばっている状態だったのをまとめたのがこのMartyushevによる総説(“Maximum entropy production principle in physics, chemistry and biology”)ということらしい。これを読むのは無理なので、島崎さんに教わることにしよう。

もうちょっと簡単な説明を探していたら、応用分野での解説論文を見つけた。

「エントロピーに関しては,その増減を支配する2つの重要な法則がある.外界から隔絶された閉鎖系で成り立つ熱力学の第2法則と物質やエネルギーが絶えず出入りする開放系で成り立つエントロピー生成率最大化(MEP)の原理である.前者はエントロピー増大の法則として以前よりよく知られているが,後者は近年の非平衡熱力学,複雑系研究の成果として得られた新たな知見で,社会科学の研究者の間で,その存在を知っている人はそれほど多くない.」 「本論文で扱うMEP原理とは「散逸構造はエントロピー生成率が最大になる状態で実現する」という熱力学的な最適原理である。熱平衡から遠く離れた開放系において、自由度が大きい、境界条件が固定されないなどの条件が満たされると、MEP原理に従って散逸構造が形成される。散逸構造の特徴は低エントロピー性にある。散逸構造はエントロピー生成率を最大化し、生成されたエントロピーをシステム外に放出することによって、自らの低エントロピー状態を維持しているのである。」

「クレイドンら(Kleidon and Lorenz 2004)により提案されているエントロピー生成率最大化(Maximum Entropy Production)理論は,地球大気の自由エネルギーの流れの過程から導きだされたもので,平衡から大きく離れた開放系において,境界が固定されないなどの自由度が高い場合,散逸構造が生まれ,この散逸構造内で生じる秩序構造によりエントロピーは低くなる(低エントロピー領域が生まれる)が,散逸系と取り巻く全体の系では,エントロピーの生成率が最大化されるというものである.生態系もこのエントロピー生成率を最大化させるように,様々な生物種の連携により生態系の活動を最大化させようとしていると理解できる.」

うん、やっぱりこっちなんではないかな! 以前enactivismの本質としてEvan Thompsonがadaptivityとautopoiesisということを言っていて、FEPはadaptivityの部分を担当しているのだろうと考えたのだけど、adaptivity + autopoiesisってまさに非平衡系における自己組織化で考えるべきだよな。やっぱ津田先生が正しかった!


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